Magazine
Oct 31, 2016

ユーラシア大陸車輪紀行

焦燥と喜び

Photo & Text by Taichi

taichi_1

一度大きく吠えると、鴻志は改めて静まり返った街の、広がり始めた暗闇の一部に吸収されたかのように再び黙り込んだ。静けさは勢いを増し、墨汁を垂らし続けるようにあたりを濃い黒に変えていきつつあった。

鴻志のバイクが壊れるのは何度目だろうか。

この5日間ほど、毎日鴻志の気持ちはこの大きすぎるロシアに振り回され続けている。まるで一本の竹がパチパチと音を立て、ゆっくりと炙られ、焼かれ続けるように鴻志の太い芯には焦げ目が入り続けていた。そしてとうとう、終わらない灼熱に耐え続けた割れ目は内側にこもり続けた熱を一気に放出するように、轟音を立て、割れ目をあらわにしたのだった。

鴻志がうずくまり動かない間、ぼくはできるだけ鴻志がいる場所から離れないように注意しながら、ロビーに灯りの見えるモーテルを駆け回った。

受付に座るくたびれた操り人形のような老人たちは眠そうな目を半開きにし、ぼくの片言のロシア語、ないしは英語を、聞いたこともない言語を聞くかのような反応で首を左右に振るだけだった。

20分ほどそこらを徘徊したぼくは、鴻志の場所へと戻った。彼はいまだ変わらぬ体勢で地面をじっと見つめているだけだった。

−−−−どうしよう。

ポケットから湿気て、くしゃくしゃになったタバコを取り出し、火をつけようとした時だった。今にもギクシャクした動きと共にボンネットから煙を出し、止まりそうな車がぼくたちの目の前に停止した。

「火を貸してくれないか」ゆっくりと下がった窓から髭面の男がタバコをくわえながら顔を出した。

「バイクが壊れたんだ。どこかこの辺りで泊まれる場所を知らないか」ぼくはライターを灯し、彼のタバコに火をつけながら、聞き返した。車の代わりに口からゆっくりと煙を吐き出した彼は、一瞬、宙を見つめた後、ついて来いと顎で道を示した。

鴻志をその場に座らせ、ぼくは彼のオンボロの車がゆっくりと走る後をついていった。

ついたところは先ほどぼくが中を覗いたと同時に首を左右に振った、メガネの老人が受付に座るガスティーニツァだった。

彼が10分前にぼくが話そうとしたことを老人に伝えると、老人は面倒くさそうに彼に鍵を手渡した。そして彼は鍵をぼくに手渡した。

急いで鴻志の場所に戻り、泊まるところが見つかったことを説明すると、鴻志は能面のような表情を浮かべ、バイクを押しながらガスティーニツァのある方向へゆっくりと向かった。街灯に照らし出された姿は寂しさだけが周りを覆っていた。

カラカラとチェーンが空回りする音だけが、沈黙した小道に響いていた。

taichi_1

 バイクを止め、部屋に入ると鴻志は服すら脱がずにベッドに横になると、そのまま一言も発することもなく眠りについた。

ぼくはものの数分で最高潮に達した鴻志のいびきをBGMにしながら熱いシャワーを浴びた。体にへばりつくようなお湯を使い古したタオルで拭き取ると、眠気が一気に足の先から這い上がってきた。

ギシギシと音を立てるベッドに横になり、ガスティーニツァの微弱な電波を頼りに近くのバイク修理屋を検索しながら眠りに落ちた。底なし沼にズルズルはまっていくような不気味な眠気を感じていた。

翌朝目覚めると、隣のベッドには鴻志の姿はなかった。

ぼくにはなんとなく彼がいつ頃起きて、起きた後にどういう手順で身支度をし、今何をしているのかがわかるような気がした。

ぼくはベッドの隣に置かれた椅子に目を向けた。そして背中にかけられた上着のポケットからタバコを取り出した。椅子は何百年前もから微動だにせず、あまり座られることもなかったかのように、古ぼけながらも柔らかそうな膨らみを携えていた。

タバコに火をつけた後に、この部屋が禁煙かどうか確かめていなかったことに気がつき急いで目の前のカーテンを開いた。

途端に真っ白の光がぼくの目を刺激した。そしてバックファイヤーのように、すでに目覚めていた街の声が、沈黙を守っていた部屋に勢いよく飛び込んできた。

車の排気音、工事現場の機械音、人が話す声。その話す声の中に鴻志の叫び声が混じっていることに気がついた。

その叫び声は緊急を告げるものでは無く、誰かに何かを伝えようと必死になるあまり、声の大きさを抑えることができていないものだった。

ぼくは窓の縁でタバコをもみ消し、シャワーを浴びた。勢いよく出てくるお湯は昨晩の方が熱く、水滴は皮膚に弾かれるように排水溝へと流れていった。

まだ昨晩の湿り気が残るタオルで体を拭き、髪をまとめ上着を羽織り、鴻志の元へと向かった。

予想通り彼はガスティーニツァの隣に設けられたお門違いの看板屋にバイクのチェーンの修理を申し込んでいた。

彼はこちらに気づくといつもと違わぬ笑顔で手を振った。

看板屋の3人を合わせた5人の手がオイルで真っ黒になった頃、太陽は頭のてっぺんまで登り、チェーンはすっかり元通りになっていた。

彼らに礼を言い、手を綺麗に洗うとぼくたちは改めてホステルを探し、街の中心部へとバイクを走らせた。

快調に走る鴻志のバイクといつもと変わらない鴻志の背中を見ながら、ぼくは心が落ち着くのを感じた。

少し迷い、訝しげな目線を投げられながらも道を聞き、ホステルにたどり着いた。ホステルはマンションの3部屋ほどの壁をなくし無理矢理つなげ、新たに間取りに合うように壁を作り直したような構造だった。

ぼくたちは荷下ろしで部屋とバイクを往復する間にいつの間にか周りに住む子供たちと仲良くなっていた。そして気づくと荷下ろしを終えることなく彼らの相手を全力でしていることに気がついた。そこには言語など一切いらず、いくらでも彼らの考えていることがわかるような気がした。

taichi_2

30分ほど遊んだ後、彼らのうちの一人のお姉さんがホステルの受付をしているということが判明した。そして子供たち経由で、お姉さんにこの街のバイカーの誰かを紹介してくれるように頼んだ。

なんとか彼女に伝えると、少し携帯をゴソゴソと触った後に、「来るわ」とだけ答えた。

しばらく待つと大柄な二人、アンドレイとサシャがヘルメットを抱えホステルに入ってきた。彼らに安全なガレージを紹介してもらい、知り合いのバイク店でぼくのタイヤの交換をしてもらった。

「昨日の夜出会いたかったね」タイヤの交換をしてもらいながら、鴻志がぼそりと呟いた。

ぼくはそれを聞き、「そうだね」と答えかけた。しかし、喉の奥からその言葉を拾い上げる際に、そのもっと奥にうっすらと埃が被りかけた正体不明の感情が転がっていることに気づいた。ぼくは目を凝らしてみようと試みたが、結局何かはわからず、「そうだね」を答えるタイミングも失い、喉に大きな飴玉が詰まったような不愉快な感情になったまま何も答えなかった。

次の日、半日かけバイクの整備をしたぼくたちは次の目的地のノボシビルスクに向かった。

昨日、ちらりと姿を現した、正体不明の感情はなんだったのか。

それを見つけることはいいことではなかったような気がする。もしくは見つけなければいけない、それはもともと埃など被っておらず、堂々と感情の中心に鎮座し、輝いていたのかもしれない。

道中、細かい霧のような焦燥感と不思議な感覚が目の前に浮かび続けていた。

次の街、ノボシビルスクはシベリア地帯の首都だった。ロシアは日本と違いそれぞれの地方に首都がある。もちろん正式な国の首都はモスクワだが、なにぶん大きすぎるため、それぞれの地方自治に仮の首都を設けていた。

ぼくたちがついたのは首都だけあって、おそらく街の中心部だけでも日本の小さな県ぐらいの大きさがあるのではないかと感じさせられるほど巨大な街だった。

バイクを走らせながらぼく達の目は自然にバイカーの集団を探し始めていた。

実は前の街クラスノヤルスクと、このノボシビルスクの電話番号は手に入れていなかった。しかし、クラスノヤルスクで出会ったアンドレイが、ぼくたちにあることを教えてくれていた。

ノボシビルスクには大きなバイカーズクラブがあり、運良く彼らと出会うことができたなら、きっとクラブハウスに案内してくれるだろう。そのバイカーズクラブにはたくさんの旅人がお世話になっているらしい。名前は Wildriver。

30分ほど適当にバイクを走らせると、10台ほどのバイクが道端に止められているのを発見した。ぼく達は迷いなく彼らに近づいていた。

彼らはWildriverの一員だろうか。そうでなくても何かしらの情報は手に入れることができるだろう。

そんなことを考えながら、彼らのすぐ隣にバイクを止めた。

彼らのうちの何人かは、ぼくたちがバイクを止める前からこちらに気づいているようだった。ぼくたちがバイクから降りると同時に、彼らの数人がぼくたちに近づき、いつもの質問を浴びせかけてきた。

一瞬緊張したものの、ぼくたちは知らぬ間に笑顔になり、いつも通りの会話を繰り返した。

「Wildriverというバイククラブを知っている?」話の流れでぼくは彼らに質問をした。

彼らはどうして知っているのだと、驚かんばかりに、俺たちは今からそのクラブハウスに帰るところだと答えた。

そして、ボスを紹介してやるからついてこいとぼくたちのバイクを顎で指した。

「やったね」鴻志が屈託のない笑顔でこちらを振り返った。

ぼくの頭にはまたもや正体不明の焦燥感が浮かんでいた。

彼らのバイクにぐるりと周りを囲まれながら走った。護衛されているような傲慢な安心感と、Wildriverへの妙な緊張感と共に並走すること30分ほど、街外れの一軒家にたどり着いた。そこは人の背丈の1.5倍ほどの頑丈そうな大きな門を正面に構えた立派な作りの家だった。

大きな門の奥には形の違う数種類のバイクがところ狭しと並べられていた。

そして彼らの一人が、ぼくたちをチラチラと見ながらボスなる人物に電話をかけた。

しばらくすると、門の奥から人影が、重そうな門が左右にゆっくりと開いた。そして現れたのは、スキンヘッドで顎下にヒゲをたっぷりと蓄えた40歳ほどのおじさんだった。一目見て、威圧感と信頼感を同時に感じられるような変わった雰囲気の人物だった。

彼は無言でこちらに近づき手を差し出した。来る場所を間違えたか。一瞬そう思いはしたもののぼくも無言で手を差し出した。

「よろしく」そう言うと可愛い笑顔を浮かべ、ぼくの手を力強く握った。

それからは鴻志がもう飲めないと日本語で彼らに伝えるまで延々とビールとウォッカを飲み続ける時間が続いた。

Wildriverのクラブハウスは外から見えた一般的な一軒家の佇まいとは打って変わり、広々としたリビングが一階を占め、二階にはホステルのようなドミトリールームが3部屋設けられていた。ぼくたちが泊まることになった部屋には、ロシア人のオルガとオーストラリア人のトーマスが滞在していた。

彼らは昨晩からこのハウスにお世話になっているらしく、ぼくたちと同じようにユーラシア大陸をバイクで放浪しているようだった。

鴻志が皆に弾き語りを聞かせている間に、ぼくはオルガと様々な情報を交換しておいた。

次の街オムスクへの道、そこで開かれるバイクフェスティバル、次の国カザフスタンに入るために取らなければならないVISA、またカザフスタンとロシアの違いなど、どれもが有益で、興味をそそられるものだった。

taichi_m

オルガはぼくに一緒にオムスクに向かうかと聞いてきた。

ぼくはなんとなく「やめておくよ」、と断った。

次の朝早くぼくたちはWildriverの皆に礼を言い、オムスクへと出発した。

オルガとトーマスはすでにぼくたちの1時間前に出発していた。

オムスクに到着したのはちょうど日付が変わる頃だった。

それでもオルガに教えてもらった道を進んだおかげで、ぼくたちは予定よりも2時間ほど早く到着することができた。

ぼくたちは街の中心部を目指して、バイクを走らせた。

街中をさまよっているとぼくたちは大きな広場に出くわした。

その広場にはおびただしい数のバイクとそれの1.5倍ほどの人たちが集まっていた。1ヶ月前のぼくたちなら間違いなく、ある種の恐怖でその場から離れていただろう。そしてどうしてこんな時間にこんな数のバイクと人が集まるのだろうと疑問に思っていただろう。

ただこのロシアでの旅で、その緊張感と懸念はすっかりと解きほぐされ消滅しかかっていた。ぼくたちは自然とその集まりの中へと飛び込んでいた。

とにかくこの最後の街オムスクには1週間ほど滞在するだろう。どんな人たちに出会えるだろう。どんなところを拠点としてこの街を散策できるだろう。いろいろな考えが頭をよぎっていた。当然、その中には霧のかかった正体不明の感情も存在していたが、その時のぼくは見て見ないふりをしていた。

やはりいつも通りの会話が繰り返され、ぼくたちの周りにはどんどんと人が集まり、大きな円ができあがっていた。

しばらく彼らと話しているとその円の端から皆をかいくぐり入ってくる人物がいた。彼は笑顔でこちらに近づいてくると、手を差し出し自己紹介を始めた。

「やあ、俺の名前はマイク」

どうやら彼はこのバイククラブのリーダー格のようだった。

そしてぼくたちを囲む円の中の一人を指差して言った。

「彼の家にしばらく泊まるといい」

そう言うと、マイクは彼の方へ近づいていくと、今度は彼に向かって話した。

「やあ、俺の名前はマイク」

ぼくたちは何が起きているのかわからず無言で顔を見合わせた。




モバイルヒーター【ポカポカ】

The following two tabs change content below.
taichi

taichi

旅人、かく人。文章を書き、未来を描き、己の信念に人生を賭けながら、たまにはゆっくりとあぐらも掛く。旅や出会いの中で頭にこびりついた言葉・風景・感覚を丁寧に剥がし、自分なりに再成形し、表現し、生きている。 今回はユーラシア大陸を半年以上かけ、バイクで横断した24歳青年の話を私小説として連載する。
taichi

Latest posts by taichi (see all)

コメント3件

  | 2016.10.31 23:27

途中途中の写真がすごくいいね

 太一 | 2016.11.01 11:36

ありがとう!
その時は何も考えずにただただ眼に映る風景を写してただけなんだけどね

太一 太一 | 2016.11.01 11:38

ありがとう!
その時は何も考えずに、がむしゃらに眼に映る風景を写していただけなんだけどね

Comment





Comment