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Sep 19, 2014

◯ ショートノベルズ 診察室

エイプリル

Text by Hiroko Hosaka & Illustration by Yurie

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僕は本当はおもちゃが作りたかったんだ。それなのに、なぜかマッサージ・セラピストをやっている。なかば育ての親でもあった大叔父と大叔母が亡くなったの で、彼らの家のベースメントを改装して診療所にしている。天井ぎりぎりのところの窓からは今日も音叉の木が見える。若葉がうっそうと茂っている。

僕は朝起きると、まず、予約サイトを見て予定をチェックする。今日は、2015年4月1日水曜日。6件の予約。9時、10時、12時、1時、2時、ラストは4時。

え?

画面を閉じようとした手を止めて僕は予定表を見返した。4時、エイプリルとある。エイプリル? まさか、彼女じゃないとは思うけど、ドキッとした。 まさかね。エイプリルなんて、どこにでもある名前だ。そう、大学生の頃、僕はエイプリルという名前の変わった子に出会った。彼女のお蔭で、僕はマッサー ジ・セラピストをやっているようなものなのだ。10年以上も前の話。

高校を卒業すると、僕はバンクーバーにあるS大学に入学した。そこの情報工学科に入った。コンピューター・サイエンス科。そんな学科、どこの大学に もあるのだけれど、RPGゲームを実際に作る科目があるというのが気に入ったから。RPG。ロールプレイングゲーム。ファイナルファンタジーと聴けば分か る人も多いと思う。自分のキャラクターを決め、ある状況下で、いろいろな試練を乗り越えて目的を達成するまでの過程をゲームにしたものだ。コンピュータ相 手に一人でやってもいいし、友達と複数でやるのでもいい。このゲームの面白いのは、各キャラクターが変化したり成長したりするところだと思う。自分の得意 なことが分かったり、他のキャラクターへの感情が変わったりしてわくわくする。子供のころに大事にしていたロボットとかミニカーとかぬいぐるみとか、彼ら と遊んだ感じがよみがえる。

僕の両親は、僕が生まれるより前に日本からカナダへ移民してきた。僕には兄が一人いて、彼は日本で生まれた。僕がグレードワンになった年(日本でい うところの小学一年生)、両親が日本に帰った。夫婦でやっていた仕事がカナダではどうしても上手くいかなかったからだ。僕と兄は、長くカナダに暮らしてい る親戚の家に預けられることになった。母親の叔母にあたる人の家だった。彼女(僕にとっては大叔母)は結婚していたが子供はなく、旦那さんとの2人暮らし だった。旦那さんはカナダの人だった。彼らの家はバンクーバーにあったので、僕ら2人は東部のトロントから西海岸に越してきた。

その家は、楽器のチューニングに使う音叉が何本も突き出たみたいな大きな木のある並木道沿いにあった。大通りから2、3本入った閑静な住宅街だ。音 叉の木は夏にはみどり色の葉っぱをたっぷりと茂らせ、この土地の強い日差しから僕を守ってくれた。秋になると、みどりの葉っぱはオレンジ色になり、上から ひらひらと落ちてきて、道いっぱいのやわらかな絨毯になった。絨毯の下はアスファルトのはずなのに、なぜか土の匂いがした。

この辺りには大きな家はなく、平屋のこじんまりした家が立ち並んでいた。どの家にも広々とした前庭があり、僕と兄はよくそこで遊んだ。通りにゴール に見立てた段ボールを立て、ホッケーをやったりもした。年が5つも離れていたけれど、兄は僕にとても親切で、いろいろなスポーツのルールを教えてくれた。 普通に対戦すれば僕が負けるに決まっているところを、兄は巧みに手加減をし、僕に勝つ喜びを味あわせてくれた。兄はいつもホッケーをやりたがったが、僕は バレーボールが好きだった。コロンと転がってボールを受けるのが面白くて仕方なかった。身体が小さくてもできたからかもしれない。兄にせがんで何度もボー ルを投げてもらった。投げてもらっては前庭の芝生の上に転がった。

秋と冬、バンクーバーでは霧のような細かい雨が静かに降り続く。そういう季節には僕らは家の暖かなベースメントで遊んだ。天井ぎりぎりのところに窓 があり、オレンジ色の音叉の木が見えた。秋のある日、僕はやはりベースメントで遊んでいた。兄は学校の友達と遊ぶこともあり(手加減しないで遊びたい日も あるのだろう)、その日僕は一人だった。一人のときには、僕はたいていロボットのおもちゃで遊んだ。ある日、乱暴に遊び過ぎたのか、ロボットの片腕がいき なり取れた。パニックになり大声で泣きながら居間への階段をかけ上がった。おじいちゃんが本を読んでいた(僕も兄も、大叔父と大叔母をおじいちゃん、おば あちゃんと呼んでいた)。僕が腕のもぎ取れたロボットを持っているのを目にすると、彼はガレージへ行き、ツールボックスを持って戻ってきた。その中をしば らくかきまわしていた。やがて、何かを見つけ言った。This would work。これが使えそうだ。

そして、接着ボンドでロボットの腕を身体にくっつけた。腕は本来、くるくると動く仕組みになっていたのだが、ボンドで固定されてしまった結果、まる で廊下に立たされた子供のように、片腕はぴったりと脇につけられたままになった。おじいちゃんには子供がなかったし、大学で長いこと哲学を教えているよう な人だったから、そういうことにはあまり慣れていなかったのだろう。僕はロボットの腕がもぎ取れたときよりもさらに大きな声で泣きわめいた。困惑するおじ いちゃんの横におばあちゃんがやってきて、何も言わないまま、おじいちゃんの頬をやさしく撫でた。それから僕を抱きしめてくれた。片手でロボットを取り、 もう片方の手で僕の手を引いてキッチンへ行った。

揚がったばかりのドーナツがお皿の上に山積みになっていた。彼女はその一つをつまむと、ロボットの動くほうの腕を胴体と垂直になるまで持ち上げ、そ こにひっかけた。そして僕のほうへ近づけた。僕はロボットの腕からドーナツを取って食べた。おじいちゃんがいつの間にか横にいた。おばあちゃんがもう一つ ドーナツをひっかけてくれた。ロボットは生真面目な兵隊みたいに従順にドーナツをぶら下げていた。僕はドーナツごとロボットを受け取り、おじいちゃんに差 し出した。おじいちゃんが深々と頭を下げて「アリガトゴザイマス」と言った。そして、おいしそうに食べた。僕はロボットとおじいちゃんの様子が面白くてげ らげら笑った。ロボットを前よりも好きになった。おじいちゃんのことも。おじいちゃんはほっとしたように微笑んだ。おばあちゃんが日本語で言った。イマナ イタカラスガモウワラッタネ。

S大学を選んだ理由はもう一つあった。バレーボールのチームに入るためだった。僕は結局、背があまり伸びず、バレーボールをするには小柄過ぎたのだ が、子供のころの兄との遊びが功を得て守備が上手かった。主戦力にはならないけれど、守りを固めなくてはならない場面では役に立つ。カナダとアメリカでは 試合のルールが少し異なっていて、アメリカのチームはよく選手交代をした。カナダではそれがない。僕のような選手は当然、アメリカのチームでプレーしたほ うが試合に出るチャンスが増える。S大学のバレーボールチームは、カナダで唯一、アメリカに遠征して試合をした。入学してすぐ、僕はバレーボールチームの コーチを訪ねた。チームに入りたいと言うと、コーチは僕のことを頭の先から足の先まで眺めまわした後に言った。

「申し訳ないが君をチームに入れることはできない」
背が低いからですか? と聴くと、そうではないと言う。
「それではなぜですか?」僕は聴く。
「この大学には男子のバレーボールチームはないからだ」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。

僕にはそういうところがある。思い込みが激しくて、そうあって欲しいことはそうであるみたいに思ってしまう。当然、S大学のバレーボールチームにつ いて事前の下調べなどやらなかった。S大学にバレーボールチームがあるのは確実だ。でも、それが男子チームであるとは誰も言っていない。アメリカ遠征につ いて教えてくれたのは同じ高校に通っていた女の子だった。

バレーボールのコーチの部屋を出た後、そのままアパートに帰る気持ちにはなれず、大学のグラウンドに行った。そして、観客席にしばらく座っていた。 さまざまなアスレチックチームが練習をしていた。グラウンドの中央では、サッカーのチームがドリブルの練習をしていた。細い上半身には不釣合いな太い足の 間を、白と黒のモザイクのボールがリズミカルに回転していた。アメリカンフットボールのチームはタックルの練習をしていた。じっとその様子を見ていると、 地響きが観客席にいる僕にまで伝わってくる錯覚に襲われた。

グラウンドの一番外側は400メートルのトラックになっていた。トラックの内側で行われているのは、短距離の練習だろうか? ダッシュを何本もやっ ている。外側をゆっくりとしたペースで走っているのは中距離か、或いは長距離の選手かもしれない。彼らはとても小柄で、そしておとなしそうに見えた。短距 離の選手が、筋肉質な長い脚をばねのように飛ぶように動かしているのとは異なり、エネルギーを無駄にすまいとするような静かな動きをしていた。彼らはまっ すぐに前を向き、腕を申し訳程度に前後にふりながら、ひとことも話さず、ただひたすらに足を運んでいた。たぶんそれが、使うエネルギーを最小限にするため の最適なフォームなのだろう。僕は、その様子に魅せられた。夏のなごりを残したバンクーバーの長い日が沈みかけてもまだ、僕は彼らを眺めていた。それから 毎日、授業が終わるとグラウンドへ行き、長距離選手の練習を眺めた。

選手の中に一人、変わった雰囲気の女の子がいた。スポーツ選手にしては妙に色が白い。他にも白人系の選手は何人もいたが、白さのレベルが違ってい た。他の女子選手の髪型がポニーテールかベリーショートか、たいがいどちらかである中で、彼女だけが顎までのボブにしていた。肌が白いのに髪が黒いので余 計に目立つ。彼女もまた、他の選手のように必要最小限の動きで黙々と走っている。が、そのしーんとした動きの奥から何かざわざわとした音が聴こえてくる気 がした。なぜ、そんなことを思うのか分からない。でも、何か聴こえる気がする。何だろう? まるで耳鳴りみたいに音が湧き出していた。それが何か知りたい と思った。走ってみようかと思った。

大学の陸上部には入らなかった。高校の時にバレーボールをずっとやっていたから、それなりの筋肉も体力も持ち合わせていたが、走るということに関し てはジョギング程度にしかやったことがない。それで、オンラインでいろいろ調べてみると、大学の近所のスポーツショップでマラソンのクリニックをやってい るのを見つけた。クリニックとは病院のことではなく、走るための有料サークルみたいなもののようだった。5キロを走れるようにするクリニックから始まっ て、10キロ、ハーフマラソン、フルマラソンと4段階あった。各クリニックには目標となるレースが設定されていて、その3ヶ月前からトレーニングが始ま る。週一回はショップ内でレクチャーがあり、シューズやウェアの選び方、タイムの取り方、筋力トレーニングの仕方、レース中の栄養補給、そして、日々の食 事についてなどが学べる。僕はハーフマラソンのクリニックに申し込んだ。

予想していたことだが、トレーニングメニューは恐ろしく単調だった。のんびりペースでのジョギングを週4回、うち3回は10キロ程度、残り一回は 10キロから始まって少しずつ距離を伸ばす。これは週末に行われた。合間にスピードトレーニングかヒルトレーニングが週一回入る。残りの2日間は、休む か、クロストレーニングとして水泳やバイクが奨励されていた。

僕は忠実にメニューをこなした。加えて、暇さえあれば大学のジムへ行き、腹筋と背筋を鍛えた。これらの筋肉は走るためというより、走る間に身体を支 えるための筋肉だ。走るのに必要な筋肉としては、太ももの前の筋肉(大腿四頭筋)、ハムストリング、尻(大殿筋)、ふくらはぎ(ヒラメ筋と腓腹筋)を鍛え た。もともと、歩くのは好きだったが、これまで以上に歩くようにした。走るフォームを気にしながら歩く。バスや車は使わず、どこへ行くのにも歩いた。僕は 毎日、風呂場の鏡の前で素っ裸になり、自分の身体の変化を仔細に観察した。身体が球技選手のそれから、陸上選手のそれに変わっていった。

ある日、右手の人差し指の爪が妙な形になっていることに気がついた。指先に沿って軽く内側に楕円を描いているはずの爪が、外向きにめくれている。ほ んの少しなのだが、他の指の爪と比べてみると明らかに形がおかしい。指と爪の間に隙間が出来てしまっている。調べてみると、典型的な鉄分不足の症状のよう だ。次の日薬局へ出かけ、鉄分のサプリメントを買った。一週間飲み続けてみると、爪の形が元に戻った。

よく調べてみると、運動選手、特にランナーには鉄分が不足しやすいということが分かった。理由の一つは大量の汗をかくこと。その結果、汗に含まれて いる鉄分が失われる。もう一つは、激しい運動により酸素が必要になること。酸素を作るためには赤血球が必要になる。体内の鉄分を使ってそれを作る。貯蔵し ていた鉄分が失われる。運動するための筋肉を作るのにはタンパク質が必要だ。激しい運動をした後には、通常の必要量の2倍が必要になる。タンパク質が足り なくなってくると赤血球が分解され、その中に含まれるタンパク質が筋肉作りに回される。赤血球を補うのにまた鉄分が使われる。そして、あろうことか、ラン ナーは折角作った赤血球を破壊してしまう。長時間走ることで足の裏に衝撃が続き、毛細血管を破壊してしまうのだ。体内で出血が起きる。壊れた赤血球が流れ 出す。赤血球づくりにまた鉄分が使われる。大学のグラウンドで練習をする長距離選手の様子が目に浮かんだ。その地味な行為をするために、身体の中では大量 の鉄分が失われ続けている。規則正しい動きをする足の中で毛細血管がぷちぷちと切れる。血がじんわりと滲み出す。骨や腱や筋肉の合間を流れていく赤血球。 それが、真っ白な骨を赤く染めていく。色白でボブカットの風変わりな女の子のことを思い出した。あの子から聴こえてきた音を思い返す。あれは、身体の中が 傷つけられている音なのだろうか? 血の流れる音? そういえば、ここのところグラウンドで彼女を見かけない。ひどい貧血になっているにちがいないと思った。

大学のアスレチックチームには、専門のフィジオ・セラピストがいる。陸上選手が取るべき食事について教えて貰えるかもしれないと思い、アメリカン フットボール部の部室に併設された診療所を訪ねてみた。門前払いを食らった。セラピストは数名いるのだが、大学全体のチームを診ていていつも混んでいる上 にスター選手を優先的にするから、僕のような、普通の選手ですらない学生が訪ねても相手にしてくれなかった。仕方なく帰ろうと思い、診療所のドアを内側に 引くと、目の前にあの子が立っていた。びっくりして、一瞬、身体が固まってしまった。昨夜、2人で焼き肉を食べている夢を見たところだった。僕は赤身の肉 を熱心に彼女にすすめていた。そのばかげた映像を頭から振り払い、なんとか通りすがりの人に向けるよそゆきの笑顔を作った。そして、ドアを彼女のために抑 えておいてあげているのだという格好をした。これは、おばあちゃんから叩き込まれた習慣だ。彼女は日本人のくせに(或いはだからか)レディーファーストを とても好んだ。でも、そのお蔭で、ドアの前で思わず立ち止まってしまったことを怪しまれずにすんだ。彼女が中に入ると、そっとドアを閉めた。近くで見るあ の子は、思った以上に肌の色が白かった。白というよりは、ほとんど向こうが透けて見えるほど透明だ。真っ黒に見えた髪にはところどころにピンクのメッシュ が入っていた。セーター以外はほとんど黒ずくめの服装だった気がする。ランナーという雰囲気は全くなかった。本当にグラウンドを走っていたあの子だったの かな? と少し不安になる。ああ、でも、足を引きずっていた。貧血ではなく怪我か、と思った。

大学の授業では、いよいよRPGの制作が始まった。4、5人でチームを組み、一つのゲームを作る。メンバーで、どんな内容にするかを話し合った結 果、戦争ものを作ることになってしまった。気が進まなかった。ファンタジーを作るチームがあったので、そちらに移動させて貰えるよう教授に頼んだけれど、 断られた。人数配分がおかしくなるというのが理由だった。仕方がないので、これはゲームなのだと、おもちゃなのだと、強く自分に言い聴かせながら製作を続 けた。

僕が出した案は、スポーツトレーニングゲームだった。まず、スポーツの種類を選ぶ。バレーボール、バスケット、サッカーなどの団体競技から、個人で も出来るマラソンもある。達成すべき目標は、国内選手権大会出場、フルマラソンレース出場、オリンピック出場、などなど。 基礎トレーニングから始め、ルールを覚え、技術をみがく。 体力づくりのメニューを作る。バランスのとれた食事を考える。最終目的の大会に出場するための試合をこなしていく。練習をさぼっていると補欠になる。チー ムの仲間の遊びの誘いを断って一人で練習ばかりしていても補欠になる。トレーニングの合間に怪我をすることもある。練習を休むことで足止めをくうが、その 間にリハビリ用のプログラムを考え実行することも可能。そのプログラムをチームの他の誰かが利用したりすると、自分の得点になる。基本的には、ポイントを かせぎ、自分の欲しいポジションを獲得するという前提があるが、チームの誰それのほうが資質的に良いと判断して譲り、その判断が適格だった場合にはキャプ テンに任命されることもある。チーム一人一人の性格、身体的資質、練習のやり方、食事の内容などにも留意し、いかにして大会出場までの試合を勝ちぬいてい くかを考えながらゲームは進む。

こうやって、考えているだけでもうきうきする。しかし、他のメンバーは誰一人、そうは感じなかった。スポーツには普遍性が不足していると言われた (戦争は普遍的なのだろうか?)。スポーツトレーニングの知識が必要になり、そちらへ費やす時間がないと言われた。そこは僕が受け持つと言った。言ってか ら、それが理由ではないのだと気がついた。

ゲーム制作が進み内容がリアルになるに従い、どんどんとやる気がなくなった。僕は日に日に授業をサボるようになり、ある日とうとう、僕抜きで進めて くれとチームのクラスメイトに詫びに言った。人数配分が気になったが、なんとかするだろうと思った。大学に入って最初の一年が終わり、夏休みが始まろうと していた。それを機に、大学の近くで友達とシェアしていたアパートを出て、おじいちゃんとおばあちゃんの家に戻った。彼らは何も聴かなかった。しばらく音 叉の木を眺めながらぼーっとしていた。葉は若葉のなごりのあるみどり色になっていた。クリニックのトレーニングだけをする日々が過ぎていった。ある日、ふ と思った。そうだ、自分でRPGを作ろう。大学になど行かなくたって自分で作ればいいではないかと。

僕は、益々熱心に長距離のトレーニングを続けた。その頃には、ハーフマラソンとフルマラソンのレースは無事に完走していた(それぞれ、1時間34分 21秒、3時間08分12秒)。クリニックを主催しているスポーツショップの人達とも随分親しくなり、アルバイトに来ないかと誘われた。学生ローンもあっ たので、喜んで引受けた。店の仕事をしながら、各クリニックがそれぞれ週一回行うレクチャーを全て聴き、細かくメモを取った。同じレクチャーが繰り返され るわけではないため、何度でも聴く価値があった。講師には、毎回、スポーツメーカー関係者、フィジオやマッサージのセラピストなどが招かれた。何回も顔を 合わすうちに彼らとも親しくなり、 シューズやウェア、栄養のことをいろいろと教えて貰った。診療所に予約を入れ、診察を受けてみたりもした。

僕は、スポーツショップのクリニックで得た知識をRPGにどんどんプログラムしていった。しかし、知識ばかりが増えるが、その知識を試した結果をプ ログラ厶することが出来ない。ケーススタディ出来るのが自分しかいないからだ。考えた末、5キロのクリニックのリーダーと10キロのクリニックのサブリー ダーを兼任させて貰った。自分自身はもう一度、フルのクリニックに参加した。参加者のデータをまとめた表を作成し、フォームと走りの関係性を分析した。参 加者の人に、いくつかのアドバイスを行なった。アドバイスを聴いてフォームを直す(或いは筋肉を鍛える、或いはシューズを変える)前と後とでのスピードや 身体の調子をヒアリングし、データに付け加えた。ゲームの質はかなり上がってきたと思う。けれど、もう一つ何かが足りない。頭の中だけで作られたできごと という印象が拭いきれない。というより、実際にそうだ。もっと、ランナーの身体に触りたいと思った。彼らの筋肉や骨、肌に触って、その状態、変化を感じた いと思った。僕は、マッサージ・セラピストになる学校へ通ってみようかと考えた。どうせ、大学にはあまり行っていないのだ。時間はたっぷりある。

セラピストの学校へ通いだした頃、一度、大学のグラウンドへ行ってみた。あの子はいなかった。大学のフィジオの診療所の入口で鉢合わせになってから 一年近くが過ぎていた。怪我はまだ治っていないのだろうか? 季節は巡ってまた冬になっていた。家の窓から見える音叉の木はすっかり葉を落とし、文字通り 音叉みたいになった。冬の間、マッサージ・セラピストの学校へ熱心に通った。毎日、音叉の木の間を大通りまで歩いた。学校では、解剖学やバイオメカニクス の授業もあるし、身体の部位の名前を覚えるだけでも大変だった。それでも夢中になって勉強した。習ったことをどんどんゲームに反映していった。僕はもう、 あまりではなく、ほとんど大学へは行かなくなっていた。多額な学生ローンだけが残っていた。でも、そんなことはどうでもよかった。

マッサージ・セラピストになるには、在学中に学校が定めた診療所でインターンとして働き、少なくとも200人を施術しなければならない。スポーツ ショップで親しくなったフィジオ・セラピストの診療所がリストに載っていたので、そこで働かせて貰った。何人かのセラピストが診療所をシェアしており、指 圧にカイロプラクティック、鍼の人もいた。彼らのやり方を傍で見られるのも良かったが、何よりもスポーツ系の怪我をしたクライアントが多いのが僕には幸い だった。僕は、学校で習ったこと、診療所のセラピストたちのやりかた、実際に触ってみたクライアントの身体から、自分なりの方法論を考えるようになった。

一度、日本の女の子を診たことがあった。僕とは違って、日本で生まれ育った子だ。問診票を見たら、僕より幾分年上だけど、生意気な妹という感じがし た。大学のグラウンドで走っていたあの子に少し似ていた。女の子は典型的なアジア顔だから見た目は違うのだけれど雰囲気がよく似ていた。女の子の身体の中 からも音がしていた。彼女も長距離ランナーだった。ふくらはぎをおかしくしていた。レースに出る直前で、少しイライラしているみたいに見えた。それで、僕 は頑張ってたくさんおしゃべりをしたのだけれど、もしかすると、逆効果だったかもしれない。信用されていない気がした。彼女にいろいろなポーズを取っても らい、僕があちこち触って痛みのもとを探していると、彼女は「人体実験をされているみたい」と言った。時間が圧倒的に足りなかったが、何とか一つだけアド バイスをした。疲れてくると左肩が下がってくるのかもしれない。気がついたら肩をあげてみてと。レースの日、どうしたかな? と思っていると、夜になって からテキストが送られてきた。Kansou dekimashita。Arigatou。と書いてあった。今でも時々、そのテキストを読み返す。あの子の脚も治したいと思った。

僕は、学校と診療所とスポーツショップの3地点を規則的に移動する生活を続けた。ある日、久し振りに大学へ行った。退学届けを出すためだった。授業 に出なくなって2年以上がたっていた。手続きを済ませてからグラウンドへ行ってみた。あの日と同じようにさまざまなアスレチックチームが練習をしていた。 一番外側の400メートルのトラックで、長距離の選手がゆっくりとしたペースで走っていた。そういえば、あの日も今と同じ季節だった。夏のなごりを残した 頃だった。何もかもがあの日みたいだった。あの日、僕は大学に入りたてで、バレーボール部に入れなくて、どうしていいか分からずにグラウンドの観客席に 座っていた。ただ、あの子の姿だけがなかった。

もしかしたら遅れて練習にくるのではないかとしばらく座っていたが、日も傾き始めたのであきらめて席を立った。校門を出て、大きな一本道をのんびり と歩いた。道沿いには何軒かカフェやらパブがあり、授業を終えた学生で賑わっていた。一軒のカフェを通り過ぎて、足が止まった。窓際に座っている若い女性 の後ろ姿があの子に似ているような気がしたからだ。なるべく自然を装って、今来た道を戻った。今度は正面から見ることが出来た。間違いない。あの子だ。僕 は少し迷ったが、そのままカフェに入った。コーヒーを注文し、マグを片手に席を探すふりをしてあの子の座っているテーブルの近くに行った。フィジオの診療 所でばったり出会った時と全く変わっていない。髪は相当気に入っているのか、相変わらず顎までのボブだった。ピンクのメッシュもところどころに入ってい る。

あの子は本を読んでいた。日本語の本だった。いや、中国語の可能性もあったけれど縦書きなのが見えたので、少なくとも英語ではない。僕は思わず、日 本語で声をかけた。「日本語を読めるの?」あの子が何か言った。声が小さくて聴き取れず、え? と言うと、座ったら? と手で合図した。そして、僕がコー ヒーの入ったマグをテーブルに置き、椅子に座るのを待ってからもう一度言った。「私はエイプリル。あなたは?」全く訛りのないきれいな日本語だった。僕は 少しアクセントのある日本語で自分の名前を名乗った。英語名ではなく、日本の名前を言った。その名前は、おじいちゃんとおばあちゃんだけが呼んでくれてい た名前だった。それから、聴いた。「何の本を読んでいるの?」エイプリルは、僕が聴いたことのない日本の作家の名前を言った。ムラ何とかハルキ。「その 人、有名?」重ねて聴くと、エイプリルはとても不思議そうな顔をした。僕は恥ずかしい気持ちになった。日本で生まれた日本人の友達が前に言っていたことが ある。自分なんかよりも、日本に興味を持っている海外の人のほうがよっぽど日本のことを知っていると。でも、僕の場合は、そういうのとはまた違う。見かけ とか、名前とか、親とかは日本のそれだけど、僕の中身はカナダだ。「へー、よく日本のことを知っているんだね」と素直に言えない。それで「僕はカナダ人だ から」と、そのまま言った。エイプリルは、可笑しそうな表情を浮かべると「ムラカミハルキは全世界的に有名よ」と言った。そして、彼の本は何ヶ国語にも訳 されていて、チャプターズには英語版が平積みで売っていると付け加えた。僕が「哲学書しか読まないから」と言うと「頭いいのに世の中のことを何も知らない のね」と言いながら、本を僕に向けて差し出した。

パラパラめくってみた。僕は日本語を話せるけれど、読み書きはほとんど出来ない。子供が脈絡なく話すみたいに、漢字の合間からひらがなが意味をほと んどなさないことを話しかけてきた。その平坦な音をしばらく聴いていた。真ん中辺りに写真のページがあった。一枚の写真に目が止まった。中年に差し掛かっ た男がどこかのグラウンドのトラックを走っている写真だった。大学のグラウンドを走るエイプリルの姿が重なった。すると、あの音がまた聴こえた。エイプリ ルの身体の中から湧き出してきた音と同じ音が聴こえた。ひらがなのおしゃべりをかき消すように聴こえてきた。

ぼくが「この人がムラカミハルキ?」と聴きながら顔を上げると、エイプリルは窓の外を見ていた。日はすっかり暮れていた。夜空が向こうに透けるくら いに薄い三日月が空に引っかかっていた。エイプリルみたいだと思った。彼女は我に返ったように僕の方を向くと、写真を覗き込んでから「そうよ」と言った。 僕がしばらく同じ写真を眺めていると「写真が気に入った?」と聴いた。僕は質問に答える代わりに、音のことを言ってみた。走っているこの男の身体の中から 何か音がする。湧き出てくる感じがする。エイプリルはしばらく何か考えていた。が、やがて「あなたもランナーなの?」と聴いた。僕は、大学にバレーボール 部の男子部がなかった話をした。グラウンドに行ったことは言ったが、陸上部のことは言わなかった。さっき退学したことも。

「もう帰らなくちゃ」と言いながらエイプリルが立ち上がった。僕はもう少しここにいると言うと、自分が使っていた紅茶のカップをカウンターへ持って 行った。驚いたことに、足を引きずっていた。そういえば、髪型だけでなく、服装もフィジオの診療所でばったり出会った時と、もしかすると同じかもしれな い。テーブルに戻って来たエイプリルに足のことを聴こうとした時、本に手を伸ばした彼女の肘が僕のマグに当たった。陶器が割れるキーンとした音が耳に響い た。3分の1ほど残っていたコーヒーが飛びちる。

ハッとして目が覚めた。その瞬間ピンポーン! と呼び鈴が鳴った。予約のあいた時間にうたた寝をしてしまったようだ。慌てて立ち上がり、机の上の コーヒーが入ったマグを落としそうになった。すんでのところでマグを押さえ、走って行って診療所のドアを開けると、立っていたのはアジア系の女性だった。 エイプリルではなかったことに半ばほっとし、半ばガッカリしていると、女性が「4時に予約をしたアイコです」と言った。アイコ? 4時の予約はエイプリル という名前の人のはずだ。取りあえず中に入って貰ってから、予約内容を確認する。2015年4月1日水曜日4時Aikoとあった。

何だかよく分からないまま、アイコに診察台の横の椅子に座って貰い、問診票を渡す。彼女が問診票を書きながら言った。「覚えてませんか?」その言葉 で我に返り、彼女の方を向く。彼女は顔を上げて僕を見ていた。しばらく、ぼんやりと見つめあっていた。そして、はたと気がついた。女の子だ。マラソンの レース前にふくらはぎを怪我した女の子。生意気な妹。

ああ! と僕が大声を上げると、アイコは嬉しそうに笑った。そして言った。「もう7,8年前のことだから覚えてないだろうと思ったけど。 良かった、覚えていてくれて。その節はお世話になりました。実は、先日、初めて診たクライアントが誰かに私を紹介されたって言っていたんです。クライアン トが話すその誰かの感じがあなたに似ていて。大学生みたいなので、あなたのわけはないんだけど。なんだか懐かしくなって調べてみたら、ここで診療所を開い ているってことが分かりました」それから、付け加えた。「私、指圧師になったんです。施術するようになってまだ間もないんですけど」僕が、どうして指圧師 になったの? と聴くと、ただゆっくりと微笑んだ。そして、僕に聴いた。「あなたは?」僕は言った。

「僕は本当はおもちゃが作りたかったんだ」

 


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Hiroko Hosaka / ライター、朗読者、指圧師見習い

会社員をするかたわら、短編小説など執筆。詩や絵本、小説の朗読も 行う。現在、ポエムドロイズオンリーのメンバーとして詩の朗読をしている。タオ指圧を勉強中で、ドネイションベースで指圧を行っている。興味のあるかたは 本人まで問い合わせください。タオ指圧は気の流れを良くし、自らの身体の力で治っていくことを目的とした指圧。bpnf1219@gmail.com

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Yurie  / イラストレーター

ポートレートを描くときはお客様とその対象との関係性、背景にあるストーリーをヒアリングしてか ら描いています。そうすることでお客様の目を通して感じることができ、お客様が愛するように対象をとらえることができるからです。イラストでしか表現でき ない空気感を大切に描き続けています。
☆ポートレートのお問い合わせはyuriehoyoyon@gmail.comまで。”Cradle Our Spirit!”を見て、と書き添えて下さい.

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HosakaHiroko

HosakaHiroko

小説書き、朗読者、指圧師見習い 短編小説を地道に執筆。詩や絵本、小説の朗読を行う。マラソンなど延々とする感じのことを好む。最近、家の猫が2匹になり、猫のことばかり考える日々を過ごす。 田之上尚子 / 挿画家 ペンと水彩で、物語の世界を描く。絵本・エッセイ挿絵・ポスターイラスト等手がけたり、年に2、3回画廊やギャラリー、病院内で個展を開催。 音楽も好きで、長野県松本発バンド『有機幻燈』に所属し、パンデイロなどの、鳴物も勉強中。
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