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Mar 6, 2015

March 2015

☆★☆ あかたろう ☆★☆ March 5, 2015

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一昨年、日本で出版したアカシックレコード自己ヒーリングの本、「光の鍵」の装幀をやってくれた長年の友人、デザイナーのあかたろうの事務所に、今書いている小説と、バンクーバー在住の大河内穂子さんの本の出版の相談で、彼を伴った。あかたろうに言われた金属製の香炉は見つからず、中国からのお土産はお父さんにもらったプーアールティにさせてもらったのだけど。

あかたろうは、彼のために、いろいろなおもちゃを出してくれて、フィギャードールはもちろんだったが、特注したという、使い込んだ鉋の刃を溶かして作ったハンドメイドの小刀の職人技に、彼はしばらくみとれていた。やはりあかたろうは半端なマニアック人間ではない。それにしてもどの小刀も両刃、片刃ともに、切れ味よさそうだなあ。

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☆★☆ アキハバラ ☆★☆ March 4, 2015

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羽田に夜到着し、そのまま今回短期で借りた巣鴨のアパートに。巣鴨って今まで降りたところもない駅だけど、駅から2分でとっても便利、通りも広くて、中国の村からの移動としては気持ちにそれほど無理がなかった。私の麻布十番の実家に泊めてあげられたら一番よかったのだが、近くに人がいると決して安眠できない彼を泊めるほどの広さはない。今まで、神経質なやつだと思っていたが、あんなに広い家で育ったのをみたので、今はそれもうなずける。

アニメオタクが一番行きたいところは、もちろん秋葉原。翌朝一番で直行。万歳ルフィーを見つけたが、これは出たばかりでソールドアウト、入荷予定未定で、どこにもないだろうという返事だった。だが、かれは2日続けて中古フィギャーショップをくまなくまわり、ついに3個ゲットした。

わたしはワンピースキャラクターのなかでは、ルフィーに覇気を教えた先生、シルバー・レイリーが、チョッパーの次にお気に入り。最高にクールなレイリーをゲットした!!イエーイ!!日本滞在とりあえず3日間は順調。

 

 

 

☆★☆ 一路日本へ ☆★☆ March 3, 2015

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彼の部屋は、7年前と同じ状態に保存されており、壁には、お気に入りのイラストがはってあった。私は最後にそれを写真に収め、広州をあとにして一路日本へと向かったのだが、飛行機のなかでは、空港行きのバスを見送った、お母さんとお父さんの張りつめた涙顔が浮かんでは消えて、消えてはまた浮かぶ。少年時代から夢見ていた憧れの日本に彼を連れて行くのだ。東京滞在が一週間、そしてJR乗り降り自由の一週間のJRパをつかって、大阪の友人の家に泊めてもらいながら、京都や奈良を見せる予定で。

お母さんとお父さんにハグしろ、と何回もうながされて私はしたけど、思えば彼は一度もハグしなかった。ドライバーにせき立てられて急いでバスに乗って見送られて、家族とのあっけないお別れ。

いつか日本に行きたいという彼の従姉妹も同乗したお父さんが運転する、彼の家から空港行きのバスが出る広州までの車の中で、彼が急に、私になにか歌を唄えと言う。急に歌と言われても、、、、思い出せた歌は、「五木の子守唄」。それでいちおう唄ってみたのだけど、、、。

♫おどま 感じん 感じん あん人たち よかしゅ よかしゅ よか帯 よかきもん。おどま 盆切り 盆切り 盆から先きゃあ おらんど 盆が はよ来りゃ はよ帰る♫

もちろん誰も意味はわからないけど、みんなうなずきながら、なんだかシュールな空気になってしまい、二番までで止めた。

隣の座席でアニメを観ている彼を意識したとたん。突然、わけのわからない感情がやってきた。これから着く東京という街。私が生まれ育った街。世界で一番エキサイティングと言われる街。そこでなにを見せたらいいのだろう。すごく不安になった。人の心も衣食住も、あんなにもピュアでナチュラルな村から、真逆のところに向かうのだけど、いったい彼を楽しませることができるのだろうか?どこに価値があってどこに真実があるのか、、、!?なんだか本当に混乱してきた。

子供版彼である品財でわかるように、そういうことには敏感な彼が、どうしたの?ときいてきた。まずいよ、ほんとに。ここで私が自信持たなくちゃこれから案内しなくちゃならないのに、、、。動揺しながら、つい正直に、「あなたに日本で楽しんでもらえるかどうか自信がない」と告げてしまった。わああ、やっちゃった。

「なんでもいいよ。ぼくはちゅううごくじんだから」

この、いつも口癖のかれの日本語のなんと温かかったことか。

 

 

 

☆★☆ China 最後のディナー ☆★☆ March 2, 2015 

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明日は日本に発つ日。今日は最後のディナーだから親戚一同集まるよ。外に出る支度をしててね。と言い残して、彼はまた出かけてしまった。私はもうパッキングも済ませたので、すっかり暇で、夕方までどうやって過ごそうかと、途方にくれていた。するとそこに今日初めて幼稚園に行った品財が帰ってきたのである。彼が私をバディと位置づけてから、私には居場所ができて、品財さえいれば、疎外感にさいなまれることもまったくなかった。品財はカナダからのお土産の、ガスタウンの写真が張り付けられたマグネットを手にもって3階にあがってきた。

それから果てしもない冒険の遊びが始まった。品財は私を従えて、家中のものにマグネットを試していった。一見金属と見える物もじつはほとんどがアルミのことを発見してみると、マグネットが装着するところはほとんどない。品財は、壁や床や木の棚や、あらゆるものに試していく。荷物置きになっている部屋にもふたりで入り込み、ついに金属の古い金庫を発見!そしてなんと品財は、あの、「福」が逆立ちしている開かずの間もなんなく開けて中に入れという。意を決して入ってみると、ベッドがあるにはあるが、その部屋はすでに物置になっていた。そういえばお祖父さんもお祖母さんも長く病院にいたのだった。品財の探索はソファーの裏や、ドアの隙間にも及び、気づいたときには、家全体をくまなく見てしまった。途中、かれはチョコレートを発見し、中からチョコを二つ取り出して、どっちがほしいかと聞くので、一つを選んだら、あとはしまってしまう。食べないの?と聞くと、口を開けて小さな歯を見せた。虫歯になるので、禁じられているらしい。

品財の遊びは次々と変わるので、面白くてたまらない。ゴルフボールを見つけて、V字型に足を広げて、向かい合い、内股でボールを蹴って相手の陣地に飛ばすという新種のサッカーをしたり、卓球台のところに、腹筋マシンを滑らせて近づけ、そこを伝わってふたりで卓球台に上って、ゴロゴロする、そのあとは、かくれんぼになり、気がついたときは、全身ほこりまみれで洋服は白くなっていた。入り口のあたりがにぎやかなので3階から下を見ると、庭にテーブルがセットされていて、ひとが集まってきている。豪華レストランディナーだと思い込んでいたが、実はお家ご飯だったのだ。私はほこりまみれのまま、最後の晩餐に参加したが、すでにかなり外は薄暗くなっていたので、誰も気がつかなかった。中国大陸最後は、品財との遊びと庭の大騒ぎで幕を閉じたのだった。

 

 

       

☆★☆ China 広州 ☆★☆ March 1, 2015

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最後から2番目のディナーはまたホットポットだった。お父さんもエプロン姿で素晴らしく細かいショウガのみじん切りをして、庭のチキンは一羽もいなくなり、大量の野菜たちも勢揃いし、今度は豚の皮も加わり、ワイルドさが増している。彼がディナータイムより遅れるということだったので、食べ始めることにした。よく見ていると、お父さんはみんなにとりわけてばかりでちっとも自分は食べない。ひそかに息子を待っているのだった。宴も半分ほどすすんだ頃、彼が帰ってきて、私に急いで食べ終わるようにと言う。私はすでに食べ終わって、品財にもらったおせんべを食べていた。何かと思ったら、食事のあと連れて行きたいところがあるのだと言う。最後から2番目の夜、みんな彼とゆっくりすごすことを期待しているに違いない。しかしそんな空気もまったく気にしていないのか、「きっとびっくりするよ、気に入るよ」とご機嫌ですごい勢いで食べている。みんなにわたしを連れて行きたいところがある、と言ったようだった。そしたらお母さんが、「私も行きたい」と言い出したらしい。いつも決して自分を主張したりしないお母さんなので、これには彼も驚いた様子だった。

彼が食事を終えて、お兄さんが近くの地下鉄の駅まで車で送ってくれ、私と彼とお母さんの三人は、そこから30分の広州ダウンタウンに出かけた。初めての中国の夜の顔は、ネオンがとても元気で、人出もあり、活気にあふれていた。お母さんは混んだ地下鉄の中で、電車に乗り馴れていないひとの様相を呈して、終始落ち着かない様子だったが、少女のような好奇心にあふれた目をしていた。シートに座るのは力づくらしく、老人がいようが子供を抱いているひとがいようが誰も席を譲らない。立ちっぱなしで、広州に着き、駅から5分ほど歩いたところにびっくりするような広い広場があった。広場全体にライトが走っていて、四方に銀行やホテルや背の高いビルのライトアップがされている。広々としているところがいい。中国のお正月らしいイルミネーションもチャーミングで、初めてここを見るお母さんも目を輝かせていた。

 

 

 

☆★☆ China 品財 ☆★☆ March 1, 2015

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彼はこのところ毎日出かけている。幼稚園時代、小学校時代、中学時代、高校時代、次々と同級生たちからお呼びがかかり、きのうから大学時代の友達に会いにいっている。彼がいないと、さすがにまったく家族と話を出来ない。お姉さん夫婦は少しは英語は話せるが、私の話す英語はほとんど理解しない。お母さんとお父さんにはもちろん英語は通じない。朝食のあと、がんばってダイニングにいたのだが、ふと疎外感を感じて、自分の部屋にあがった。食事のあとは眠くなるからランチまで昼寝をすることにして、蚊帳の中に入ると、安心感とともに疎外感がさらに増した。階段にあがりしなに、お兄さんが気をつかってわたしのために葡萄をお皿に載せてくれたのを一房もらってきたが、ひとりで部屋で葡萄を食べる気もしなかった。

蚊帳の中にいると特別な気分になる。こんなふうに中国に来ていることが急におかしくなったり。そうしているうちに眠ってしまい、目が覚めたらまだ11時だった。ランチまで一時間ある。気をとりなおして、葡萄を持って下に降りると、家の中には庭で、スープを炊いているお母さんと、品財しかいなかった。

品財は私を見ると、なぜか駆け寄ってきた。今までまったくフレンドリーなところはなかったのに。そして足押しカーで、座っているわたしのまわりをぐるぐる回る。驚いたことに彼は私の心をよんだのだ。それから彼は葡萄を食べている私に、いろいろなお菓子を運んで来て、そのあと、くちをあんぐり開けて何かを示したのだが、なんだかわからない。お母さんが察して、きれいに洗われた葡萄を私と品財の間に置いた。そうか、葡萄をくれという意味だったか!

品財は歓声をあげて、私をちらちら見ながら、私がしているように、大粒葡萄の皮を丁寧にむき始めた。葡萄は巨峰程の大きさで、皮をむくと透明な薄青色、それを太陽にかざして、私に微笑みかける。次に彼は、葡萄の種をとりだして、遠くに放り投げた。皮はもちろん、そのまま床に散らばっている。へ〜ほ〜というような声を出して、種を投げながら私をちらちら見る。私はだまって葡萄を食べ続けた。品財は、葡萄の種を一粒私の手に乗せた。それでわたしも種を遠くに投げてみた。これがなかなか面白く、どんどん種を投げた。品財は自分に一つ、私に一つ渡し、皮むき競争と種飛ばしは熱を帯びてきた。そのあとはもちろんお母さんがモップとほうきで、あっというまに庭はきれいになる。

そのあとはサッカーをしようということになり、(この頃になると、彼は中国語でしゃべり、私は英語でしゃべり、話は通じるようになっている)ふたりでボールを蹴っていたら、お母さんが品財に外にいるなら寒いから長袖ジャケットを着るようにと走り寄ったので、品財は肩をすくめて、「じゃ、テレビでも観ようか!?」と目配せして、ふたりでテレビを見ることにした。

ランチタイムに帰ってきたお姉さんが、なにか品財に怒っている。宿題を言いつけたのにしていなかったのだ。ご飯は抜きだということになり、私たちは食事を始めた。そういえば、お母さんとお父さんはやたら品財をだっこしたり遊んだりするけど、公認会計士をしているお姉さんはとっても厳しい。特に勉強に関しては、徹底している様子だった。彼はまだ4歳半なのに。

品財はしかられて泣きわめき、お母さんが抱きしめようと近づいたら、「甘やかさないで!」というようにお姉さんが怒鳴る。私はおそるおそる、彼が宿題をできなかったのは、ひとりでいた私に気遣って遊んでくれていたからなの、と言ってみたが、通じている様子はなく、結局彼が宿題を終わるまで、ランチはお預けになったのだ。中国式英才教育はさすがにすごい。

 

 

 

☆★☆ China あと2日の中国 ☆★☆ March 1, 2015

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中国行きの話が出たのは半年程前だった。

移民からカナダの市民権をとった彼が23歳の時に離れた中国に7年ぶりに家族に会いにいくから一緒に行く?と私に冗談めかして言ったのだ。

フットワークは軽いほうだが、流石に躊躇し、一瞬返事をすることができずでも次の瞬間、「行く!」と言っていた。

今度は彼が黙る番で、「う〜ん」としばらく考え込んでいたが、意を決して「じゃ、これだけは約束してくれ。 家からでる時にはぜったいボクのそばを離れないで」

私の一瞬の躊躇は、実は彼の家の外というより、中にあった。

一族の長であり、村にも絶大な影響力を持つ彼のお祖父さんは、子供の頃、目の前で、父親を日本兵に水を飲まされ続け最後はお腹が破裂して死ぬというなぶり殺しにされた戦争経験者で、新年の冒頭には一族にその話をするところから一年が始まると聞かされていたのだ。

彼はお祖父さんの意図に反して、小さい時から大の日本アニメファン。ドクタースランプから始まってありとあらゆる日本のアニメの歴史をさらっているオタクに成長し、いつか日本に行ってみたいと夢見るようになった。

果たして中国は私を迎え入れるのだろうか!?素朴な疑問である。

しかし彼はこともなく、「家族は大丈夫だよ、きみをぼくのファミリーだと言えば、ファミリーとして受け入れてくれる」彼の言うファミリーのニュアンスは正直今もわからない。現にいまゲストとしては受け入れられているが家族の一員としての感触はないし。

 

バンクーバーのあらゆる友達に中国行きのことを話した。

中国では外国人が来ると、必ず見張りが立つというひともいた。

電話を盗聴されたり、無実の罪で嫌疑にかけられたりすると教えてくれたひともいる。何年か前に酒場で日中友好を訴え、殺された日本人の話もきいた。

だれもが私を案じて、いろいろな情報をくれたので、頭は正直千々に乱れたりした。しかし20年前に単身中国広州を旅した経験を持つ女友達がいて、中国人がどんなに懐がふかく意味深い旅が出来るところであるかを語ってくれたりもした。

 

私の頭の中では想像が行き交い、着いたら見張りが門口に立っている、中に入るとお祖父さんがライフルを構えている。あるいは彼の手前、フレンドリーに振る舞うが、夜中の襲撃の相談がまとまっているなどなど。

最後はなんでもいいからなぶり殺しはやめてくれ、やるなら一息にお願い、と悲壮な願いも持った。

近い友人に、彼に家族から届いた郵便物の住所をコピーして渡し、なにかあったら救出を頼むと言い残してきた。一思いに殺されるならいいけど、監禁されて檻の外では美味しい広東料理が並び私には与えられないなどは、食いしん坊の私にとっての最大の拷問、と最悪の想像も浮かんで来た。

それほどまでしてどうしてこの旅に踏み出したのかと不思議に思うひともいるだろう。そして本当に危険がなかったとは言えないのかもしれない。単にこの村は見張りが立つ程大きな村でなかったのかもしれないし、彼が観光をためらったのもリスク回避がその理由だったのかもしれない。この村の周辺には戦争中、日本兵が行った惨劇の記録がまだそこら中に残されていると聞いている。

日本以外のアジアに行ってみたことのなかった私は、ミステリーワンダーランド中国を体験するという好奇心に勝てなかった。そして本当に来てよかったと思っている。今となっては彼のお祖父さんにも会ってみたかったが、残念ながら彼の到着を待てずに昨年末にお祖母さんともに天に召されてしまった。

お祖父さんの戦争体験が語られていたハッピー・ニュー・イヤーの日には、一族の前にはお祖父さんの変わりに、日本人のゲストが登場したのである。

バンクーバーを出発する前に、彼と兄弟の契りを結ぶ儀式をした。儀式といっても口上を述べてオレンジジュースで乾杯しただけだけど。この儀式でルフィーとエースのように血と国の境を超えて、私たちはソウルフルなつながりを確実なものとした。

中国滞在もあと2日を残すところまできた。彼は私を中国で守っ た。この旅のあとは2週間、彼を憧れの初めての日本に伴う。今度は反中感情の高まっている日本で私が彼を守る番だ。

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