Magazine
Nov 22, 2015

いつか、むかしのはなし

マルクとおじいちゃんの花火

Text by Hiroko Hosaka & Illustration by Naoko Tanoue

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孫娘のモナは次の春から美大に通うことになった。そのお祝いに今日は2人で六本木の国立新美術館に来た。東京の娘の家に世話になるようになって一年 近くがたっていた。12月に入ったばかりだったが、都会の街には既に師走の慌ただしさが流れていた。モナは少し裾の広がった真っ白なウールのコートを着て いた。襟元には母親が編んでくれたという同じく白いモヘアの襟巻きをゆったりと巻いている。モナが歩くのに合わせて、襟元とコートの裾が軽やかに揺れた。 大学生になるまでまだ何ヶ月もあるが、すっかり大人びた様子だった。美術館に来たのは、チューリヒ美術館展を観るためだった。モナからの要望だった。シャ ガールの描いたものも何点か展示されるからというのが理由だった。モナはマルク・シャガールを敬愛している。マルクの描く世界は (モナはシャガールを親しげに下の名前で呼んだ)おじいちゃんの描く花火と似ていると言った。大空に暖かな光を描いていると言った。

 

平日の午後だったからか、美術館展はそれほど混んではいなかった。最初にゴッホやピカソをのんびりと観て歩いた。90歳近い私に合わせてくれている のか、或いは単に丹念に観ているのか、モナと私の歩調はあっていた。時折、ベンチに腰を下ろした。モナは「今日はおじいちゃんとデート」と言って、ずっと 私の腕に自分の腕をからませていた。冬の厚いセーターの上からでも、モナの腕が、細く、しかし若く柔らかな張りのあることが分かった。それは、あの日、可 憐におしゃれをしていた妹の炭になった腕を私に思い出させた。

その時、目の前にシャガールの絵が飛び込んで来た。そこには、母と弟たちと妹が炭になった日の光景が描かれていた。《戦争》と名付けられた絵だった。どこか異国の地を描いたもののはずだが、それは故郷の長岡に思えた。そして、あの牛がいた。私を一人生きながらえさせた、あの白い牛がいた。私はしばらく、絵の前から動くことができなかった。

 

1947年 8月1日、10時半ぴったりに、長岡の夜空に大きな白い菊の花が咲いた。信濃川沿いに花火を観に来ていた人々から一斉に歓声が上がった。ふと見ると、親方 が泣いていた。花火師たちが泣きながら、次の花火の準備をしていた。川沿いの人々が泣いているのが遠くからでも分かった。膝をついて地面を叩きながら声を 上げて泣くものもあった。その声をかき消すように、次々に花火が上げられた。僕は泣くことも出来ず、黙々と手を動かした。

 

ちょうど2年前のこの時、同じ空を埋め尽くしたのは、米軍の戦闘機だった。その日の朝、B29がばら撒いて行った予告の伝単に、長岡の文字はなかっ た。新潟さえなかった。だから、僕は油断をしたかもしれない。小さな地方都市に大きな空襲などないとも思っていた。或いは、東京は何度も空襲を受けていた から、空襲なれしていたのかもしれない。僕は一人、故郷を出て、東京の師範学校に通っていた。度重なる空襲で、とうとう学校が燃え、生徒は皆、軍に入るこ とになっていた。そのための挨拶で久しぶりに実家に戻ったところだった。 警戒警報が鳴ったくらいでは、東京の人はまだ様子をみている。僕は着替えもせず、昼間に母さんが干しておいてくれたいい匂いの残るふとんの上でぼーっとし ていた。隣に寝ていたはずの弟2人はいなかった。襖が開いたままになっていた。母さんがその襖をガタガタいわせた。「まこと、なにしてるが? 早くしれ て! 警報が鳴ってる 」それでも、僕はまだのろのろとしていた。玄関へ行くと、家族全員がすっかり支度を整え、外へ出るところだった。しばらく見ないうちに綺麗になった妹は、 知らぬ間に支度を済ませていた弟たちと手をつないでいた。どういうつもりなのか一番上等の白いブラウスを着ている。防空頭巾を被っていても可憐な様子が分 かった。

外へ出ると、街が燃えていた。焼けた家の屋根から熱風に乗って火の粉が舞っていた。服に火のついた人が奇声をあげながら目の前を走って行った。空を 見上げると、何十機ものB29が飛んでいた。ザーザーという雨のような音をさせて焼夷弾を落としている。レーザーがB29の侵入を察知できなかったのかも しれない。これは本気の空襲だと思った。僕らは、大きな防空壕のある平潟神社に向かって走った。途中、何人もの人が柿川に飛び込むのが見えた。火のついた 人が飛び込むからなのか、焼夷弾が落ちているのか、川の表面を火が流れていた。それでも、人はどんどん飛び込んでいった。

平潟神社は人でごった返していた。防空壕に入りきらないのか、入口のところで「 入れてくれてえ! 入れてくれてえ!」と叫ぶ人が群がっていた。その一方で、「 防空壕はダメらて。焼け死ぬて!」と叫ぶ人があった。母さんが柳原の神明さまのところに行こうと言った。神明さまのところにも防空壕が掘られているから と。今度はそちらに走った。歩いて数分ほどの距離が永遠に感じられた。母さんは両手に2人の弟を引っ張るようにして走っていた。妹は僕の腕にしっかりと自 分の腕をからめてしがみついていた。

神明さまの防空壕にはまだ余裕があるようで、人々が順番に入っていくのが見えた。僕らもその列に並んだ。並んでいると、あちこちで服に火の粉のつく 人があった。皆で消そうとするが、なかなか消えない。火のついた人は狂ったように走って行き、やはり、すぐそばの柿川に次々と飛び込んでいった。火の粉が つかないように、母さんが弟たちを抱え込んだ。僕は妹を抱きかかえた。と、同時に背中に激痛が走った。火がついたのだと思った。気が付けば妹を放り出して 走っていた。その時、牛が僕の横を追い抜いて行くのが見えた。白い牛だった。反射的に追った。なんだか分からないが、あの牛を追えば助かる気がした。夢中で走った。

気が付くと、朝になっていた。僕は、どこかの寺に来ていた。牛はいなかった。起き上がる時に背中に少し痛みが走った。そうっと手をまわしてみると、 血は出ておらず、少し腫れていた。火がついたのではなく、木の太い枝か何かが落ちてきて当たっただけだったのだろう。背中の痛みで昨夜のことを思い出し、 急いで柳原の神明さまのところに戻ろうと思った。自分はどこにいるのだろう? と、辺りを見渡すと、 それは神明さまのところからそう遠くもない栄涼寺だった。 牛を追って随分走った気がしていたが、母さん達のすぐ近くにいたようだ。寺は燃えた様子もなく、夏の朝の強い日差しを浴びていた。これなら、母さん達も きっと無事だろうとほっとした。ほっとしたら、急に懐かしい気持ちが湧いてきた。

この寺には、 8年前に亡くなった爺ちゃんと、子供の頃によく来た。 明治維新の時の戊辰戦争で新政府に対抗した河井継之助の墓があるのだ。爺ちゃんは継之助の墓の前でよく言っていた。長岡城下は新政府に焼き払われ、街は煤 けた野原になったと。長岡藩は舶来ものの武器を大枚はたいて買って戦ったが、それでも負けたと。まだ自分は子供だったが、あの広々とした一面に乾いた光景 をよく覚えていると。「人っていうのは強いものらて 」爺ちゃんは決まって最後にそう言った。「全てがねーなっても、すぐに生活を始めるものらて」

僕はとぼとぼと、神社へと歩きだした。寺を出ると、空気が急にもやっとした。神社に近づくにつれてそれは濃くなっていった。朱色の鳥居があった辺り に黒いぼっくいがぷすぷすと音をたてていた。神社の境内に入ると妙な臭いが鼻をついた。防空壕の入口の周りに黒く炭みたいになったものが固まっているのが 見えた。 僕はゆっくりと近づいた。それは、焦げた人の死体だった。 衣服が焼けてしまうのか、大体は半裸だった。全裸のものもあった。多くの死体は抱きしめあったり、手をつないでいたりした。僕は一体の死体をつぶさに見 た。身体の大きい女性が子供を2人抱きかかえている死体があった。子供はそれぞれに一つずつ女性の胸に顔をうずめている。僕はしばらく、その黒い塊を見て いた。母さんが弟2人に覆いかぶさった格好のまま焼かれているのだった。弟は2人とも、小さいとはいえ、十(とお)は過ぎているのに、まるでおっぱいを飲 むみたいに、母さんのふっくらとした胸に顔をうずめている。僕はそうっと、母さんのおっぱいに触ってみた。ガサガサと硬い炭のような感触だった。妹を探す と、母さんたちのすぐ横に転がっていた。両手を真っ直ぐに伸ばして何かを追おうとして転んだみたいな形で転がっていた。おめかしした一番上等のブラウスは 焼かれてなくなっていた。誰にも触れられることのなかった白くて柔らかい肌が顕になっていた。これ以上ないほど黒く顕になっていた。僕は妹には触らなかっ た。最後に抱きかかえた時の小さな背中を、僕の腕にしがみついていた、細く、しかし若く柔らかな張りのある腕を思い返した。

黒焦げの死体の前でぼんやりしていると、中年の男性に声をかけられた。その人は長岡警察の者だと言った。朝一番で市内を一巡りしてきたところだと、 黒焦げの死体の山に手を合わせた。家の人を探しているのか? と聴くので、僕には家族はいないと嘘をついた。嘘をついてから、それが嘘ではないことに気が 付いた。警察の人はしばらく黙っていた。それから、家はどこかと聴いた。今度は本当の住所を言うと、またしばらく黙った後、これから街に戻るから一緒に行 こうと言った。僕はこの場を離れたかったので、彼について行った。境内を出るとき、母さん達に手さえ合わさなかったなと思った。

長岡警察の人も僕も黙って街への道を歩いた。僕たちは確かに街がある方角へ歩いていたはずだが、そこに街はなかった。 どこにも街はなかった。街どころか、何もなかった。ただ、煤けた野原があるきりだった。広々とした乾いた光景が広がっていた。信濃川が見えた。僕は、自分 の家がどこにあったのか見当をつけることさえ出来なかった。何か手がかりになるものはないかと探してみたが、平坦な大地や、空に浮かぶ雲は道しるべとはな らなかった。信濃川でさえ、僕に何も教えてくれなかった。けれど、僕はなぜか懐かしい気持ちになった。この風景を何度も見たことがあると思った。そして、 思い当たった。爺ちゃんだ。爺ちゃんの昔話だ。爺ちゃんが幕末の焼き討ちの話をするたびに、幼い僕が頭に描いた風景と目の前の風景が同じなのだ。僕は急激 に爺ちゃんが恋しくなり辺りを見渡した。爺ちゃんではなく、警察の人が心配顔で僕を見ていた。僕はもう一度、辺りを見渡した。焼け野原のあちこちに黒いも のが固まっていた。 僕の目の前に広がっているのは、頭の中の風景ではないと嫌でも分かった。なぜなら、頭の中の風景には黒焦げの死体はなかったから。

いつまでも黙っている僕に長岡警察の人が、自分の家に来るようにすすめてくれた。そして、自分は島峰だと名乗った。僕と同じ名前だった。この辺りに は島峰という苗字が多いから、特に珍しい偶然でもなかった。島峰さんは少し前に奥さんを病気で亡くし、街はずれに一人で住んでいると言った。家族のないと ころも同じだった。その偶然も、今朝はもう珍しくもないことになったのだろうと思った。ただ、家は空襲を逃れたそうだ。申し訳なさそうに、そう言った。

 

それから3昼夜、死体を焼く火が途切れることなく燃えた。臭気は煤けた野原に広がり漂った。そして、肺や脳みその内側に入り込んでこびりついた。こ びりつけばつくほど、肺や脳が死んでいく気がした。僕は、島峰さんが指揮する警察や消防団を手伝って、死体をどんどん焼いた。東京の空襲でやったことが あったので、僕の手際の良さは長岡の人の比ではなかった。テキパキと働く僕を気味悪がる人もいた。僕が島峰さんの家に住んでいるから口には出さないよう だったが (息子か親戚だと思った人もいたかもしれない) 、誰も僕に話しかけてこなかった。かえってそのほうが良かった。 柳原の神明さまは平潟神社や柿川に続いて最も被害の大きい地域だったが、島峰さんは役に立つはずの僕にその辺りを一切、手伝わせなった。それも人々が僕を 良く思わない原因の一つでもあるらしかった。僕は母さん達の骨を拾うこともなく、それを見ることもなく、見ず知らずの人の身体を焼き続けた。

焼く死体がなくなると、僕は島峰さんに頼んで、他の仕事もやらせて貰った。やることは幾らでもあった。その合間をぬって、 東京へ帰ってすぐにでも入隊するために新発田にあった駐屯地を何度かたずねた。しかし、空襲があったせいで列車は出ず、 東京にはなかなか戻ることが出来なかった。僕は仕方なく、死にかけた肺と脳みそを引きずって、野原を歩き回って働いた。死体を焼き、骨を埋めてしまって も、辺りに漂う臭気は消えなかった。肺や脳みその内側にこびりついた臭気は益々濃くなり、呼吸をするたびに身体の内側からも臭ってきた。そうしているうち に突然、戦争が終わった。空襲からわずか2週間だった。敗戦だった。僕は戦場へ行くこともなく、生きながらえることになった。あの白い牛のせいだと思っ た。

東京に戻る理由がなくなった今、何をすればいいのか、どこに行けばいいのか、全く分からなくなった。家族の墓もなく、家もなかった。島峰さんに指示されることを黙々とやるしかなかった。僕はどんな仕事も引き受けた。廃材で寝場所を作る人を手伝った。そこらの空き地に畑を作って耕した。配給が足らず、 芋は葉っぱも茎も蔓も食べた。配給の米は男子は日に300グラムの決まりだったが、混ぜものがしてあったり、数日配給がなかったりで、満足とはほど遠い状 況だった。田舎の方へ行けば、農家から米や野菜を買うことも出来たが、驚くような高値だった。街のほうでは、焼け残った衣服や家財道具を売る人が出始め た。とにかく、何もかもが足りないから、何でも飛ぶように売れていた。最初人々は、どこかから拾ってきた空き箱をひっくり返して、その上に商品を並べてい た。が、やがて、箱に車を付けた移動式の屋台が出てきたり、廃材で店を構える者も出てきた。そんな状況の中で、人々の間から当然のように「復興」という言 葉が出るようになった。やがて、それは「長岡魂」という言葉に変わった。戊辰戦争で焼け野原になった時に、人々は長岡魂と言っては励まし合ったということ だった。

僕はふと、栄涼寺にまた行ってみた。そしてまた、河井継之助の墓の前に立った。舶来ものの武器を大枚はたいて買って戦って負けた人の墓だ。77年後 に、今度はその舶来ものの武器によって長岡が再び焼け野原になると、継之助は想像してみたことがあっただろうか? 長岡の人々が、その時と同じ言葉で自分 を鼓舞し、再び街を立て直すことになると、想像してみたことがあっただろうか? 人というのは強いものだと爺ちゃんは言った。なんにもなくなっても、すぐ に生活を始めるものだと。明治の時の長岡の人々は自分を鼓舞したのだろうか? 今、長岡の人々は自分を鼓舞しているのだろうか? 島峰さんは自分を鼓舞し ているのだろうか? 一人ぼっちで? どうやって? 僕には、人は弱いから始めるように見える。思考を止めるために始めるように見える。何も思い出さなく ていいように。きっと、爺ちゃんも本当は僕と同じように感じていたのではないか? 焼け跡を消すために、それを見なくていいように、長岡魂、長岡魂とつぶ やきながらひたすら働き、結果として、街が立ち直ったのではないか? 僕は寺を出て、街への道をとぼとぼと歩いた。今日の夕飯のことを考えながら歩いた。 畑に行くか、闇市に行くか。そんなことを考えていたら、神明さまの前を通り過ぎたことに気が付かなかった。

 

「まこと、花火を観たいか?」闇市で買って来た饅頭を夕飯代わりに食べている時に、島峰さんが言った。饅頭は芋の粉を挽いて、水を混ぜて丸めてふか したものだった。島峰さんは饅頭を一つ食べ終わると、僕に向かって顎をしゃくり、 自分の分の残った一つをすすめながら急に花火のことを言い出したのだ。戦争が激しくなり、爺ちゃんが亡くなった翌年くらいから、花火大会はずっと中止され ていた。それを復活させようということらしい。

僕は子供の頃に、信濃川の川べりに仰向けに寝っ転がって見た花火を思い出してみた。夜空いっぱいの星をかき消して広がる花火。そういえば、あの日も 夜空に星がきれいだった。 夕飯の後に、妹と2人で庭に出て星を眺めた。 母さんはどうやって工面したのか、これから軍隊に入るという僕のために、白い米と魚を調達してくれていた。妹は、兄さんのお陰で美味しいご飯が食べられた と喜んでいた。自分も、兄さんのようにお国のために頑張らなくてはと言った。僕は花火のことを覚えているかと妹に聴いた。花火大会をまだやっていた頃、妹 はまだ小さく、おぼろげにしか覚えていなかった。「戦争が終わったら、花火を観ることが出来るかねえ?」 と、妹は聴いた。「もちろんだ。勝った! 勝った! と、祝の花火が空いっぱいに打ち上げられるぞ」僕はそう答えた。妹は嬉しそうに笑った。その直後、米 国の戦闘機が空を埋め尽くした。点火されたのは、花火ではなく人々の身体だった。お国のために身体を捧げたのは、僕ではなく妹だった。

「花火はもともと、戦(いくさ)を始める時ののろしとして上げたと聴いたことがあります」と、僕は皮肉な気持ちになって言った。すると、普段はあま り冗談も言わず、物静かな島峰さんが少し興奮気味にこう言った。「火薬を発明したのは中国人だ。その火薬を使って、ヨーロッパでは鉄砲が作られた。その 間、中国人が何をしていたか知ってるか?」「知りません」と僕は答えた。饅頭からかすかに芋の匂いがした。「だから、花火だよ。花火を作っていたんだ」僕は島峰さんが何を言いたいのか、よく分からなかった。島峰さんは続けて言った。「大連から帰って来た人に聴いた話だ。中国人っていうのは、面白いな。長い 歴史の中で、何度となく戦争を体験しただろうに、火薬なんてものを発明しておいて、それで空に花を咲かすことに夢中になったのだから」僕はしばらく、その ことについて考えてみた。島峰さんもしばらく黙っていたが、やがて言った。「中国人がそんな面白い人達だって知っていたら、戦争なんて仕掛けなかったろう に」そして、僕を真っ直ぐに見て言った。「まこと、歴史を勉強しろ。哲学を勉強しろ。芸術を勉強しろ。そうしたら、戦争を起こそうなんて思わなくなる」そ れから、とても良いことを思いついたように言った。「そうだ! まこと、お前、花火大会復活の手伝いをやれ」

 

1947年 8月1日、10時半ぴったりに、長岡の夜空に大きな白い菊の花が咲いた。信濃川沿いに花火を観に来ていた人々から一斉に歓声が上がった。その歓声は直ぐに すすり泣きに変わった。僕はその様子を目の端にぼんやりと見ていた。この2年間、他のことは何も考えずに花火大会復活を手伝ってきた。そして、今、花火が 夜空の星を消して輝いている。それでも、僕は泣くことすら出来ず、ただ、ただ、手を動かし、次々に花火を打ち上げる花火師たちを手伝った。死体を焼いた時 と同じだった。黙々と作業を続けた。花火はきれいだった。川幅の広い信濃川だからこそ打ち上げられる大きな花が幾つも咲いた。きれいだなあと素直に思っ た。その瞬間、真っ白な輝きの中に黒焦げの母さんが浮かんだ。その炭になったガサガサのおっぱいに顔をうずめる弟たちが浮かんだ。僕の後を追おうとして、 手を伸ばしたまま焼かれていた妹が浮かんだ。妹の白い肌、妹が着ていた一番上等の白いブラウス、白い牛。白い菊の花。あの日の臭いが肺から漂ってきた。あ の日の臭いが脳みそいっぱいに充満した。臭いの向こうで誰かの声が聴こえた気がした。「 空襲らて!」はっとして、顔を上げると、遠くで人が走り出しているのが見えた。その人は信濃川に飛び込もうとし、既のところで、周りにいた人に取り押さえられた。花火の音と光は、人々に空襲を思い出させるのかもしれないと思った。

それでも、花火をやめようという話にはならなかった。花火大会の後、島峰さんは、説得というのではないが、人に会うとなんとなく花火の話をしてい た。どんな風に日本に伝わってきたのかとか、長岡の花火は東京のに負けていないとか、そんなようなことを世間話みたいに話した。火薬を発明した花火好きの 中国人の話もした。そして、決まってこう言った。「今度の夏も楽しみらねえ」島峰さんにそう言われると、一瞬、返答に詰まる人が少なからずいた。たぶん、 その人たちは、あの日、空襲だと叫んで信濃川に飛び込もうとした人と同じような感覚を持ったのだろうと僕は思った。それでも、彼らは何かを言い返すわけで もなく、曖昧に笑顔を作り、「そうらねえ」と言った。「長岡魂らねえ」と言った。

ある日、終戦後に豆腐屋を始めた男性に、島峰さんが道端で、いつものように花火の話をしていると、その人のお嬢さんが通りかかった。その親子は空襲 で家族を亡くし、今は2人きりになっているらしかった。島峰さんは彼女に声をかけて挨拶をした後で「この前の花火、観たけ?」と聴いた。彼女は少し顔を強張らせると、そのまま黙ってしまった。豆腐屋のご主人は島峰さんと僕に曖昧な笑顔を向けた。それから、お嬢さんの肩をぽんぽんと軽くたたいた。彼女はうなずくと会釈をして去って行った。お嬢さんは妹と同い年くらいだろうか? と思った。背格好も似ていて、その日は、真っ白なブラウスを着ていた。その白がい つまでも目に焼きついていた。

僕はその夜、島峰さんに聴いてみた。「どうして、そんなに花火にこだわるのですか?」島峰さんが言った。「俺はこの前の花火を観た時、久しぶりに観 たと思ってうれしかった。きれいだなあと思った。前に花火を観た時には女房もまだ元気で生きていて、2人で川べりに寝っ転がって観たんだ。その日のことを 思い出した。懐かしくて、懐かしくてな」そう言うと、仏壇に手を合わせ、続けて言った。「長岡の空襲で亡くなった人のほとんどは、信濃川の花火を観たこと があると思うんだ。その人達と花火を観た日のことを思い出したいと思ってな。空襲でその思い出がなくなるなんて、なんか、おかしいじゃないか」島峰さんは また仏壇を見た。「俺の女房は空襲じゃなくて病気で死んだ。家も昔のまま、こうしてしっかり建っている。だから、こんなことが言えるのだろうとは思う。で も、だから、言っていいんじゃないかと思う。まこと、俺は来年も花火を観たいと思う。お前は随分頑張ったものな。ありがとうな」

僕は翌日、豆腐屋に行った。お嬢さんは僕を見ると、一瞬、戸惑ったような顔つきになったが、さっと笑顔を作り、冷たい水から豆腐を掬ってくれた。夕 方、お膳にのった冷奴を見ると、島峰さんはあからさまに笑顔になった。けれど、笑顔になっただけで、何も言わなかった。その日から、僕は毎日のように豆腐 を買いに行った。父親のほうが店にいることもあれば、お嬢さんがいることもあった。父親のほうは、やがて、僕の顔を見ると、奥に声をかけてお嬢さんに対応 させるようになった。だからと言って、僕はなにか話をするわけでもなく、ただ、豆腐を買うだけだった。それでも、なんだか分からないが、毎日のように豆腐 屋に行った。まだまだ食材が豊富に出回るという状態ではなかったので、家でも、ただ豆腐を食べるだけだった。島峰さんは文句も言わず、黙っておいしそう に食べてくれた。とはいえ、内心では実は途方にくれていて豆腐屋に何か言ったのか、或いは豆腐屋が僕らの夕食事情を気の毒に思ったのか、ある日、豆腐屋か ら、時々、店番をしてくれないかと頼まれた。引き受けた。僕が店番をしていると、決まってお嬢さんが先に帰って来た。お嬢さんも僕も、何か話すわけでもな く、2人でぼんやりと店先に座っていたり、お客さんが来ると豆腐を掬う係とお金を受け取る係に分かれていっしょに働いたりした。

 

花火大会復活の手伝いは、これまでと同じで、島峰さんに言われたからやっていただけだった。目の前にやることがあるのは助かった。僕はまじめに仕事 をしたし、どんなことでもやったので、死体を焼いていた頃に僕の周りにあった雰囲気は少しずつなくなっていった。けれど、僕はひたすらに手を動かすことに 集中したかったから、花火作りの工場(こうば)へ行くことを好んだ。工場では火薬を扱うことから、一つ一つの作業に注意が必要で誰もが黙って仕事をしてい たからだ。花火を作る音だけが静かに流れていた。僕は花火大会の委員会で決まったことや相談事項を花火師の親方に伝えたり、必要な材料を探して歩いたりし た。そして、することがない時には、作業の様子を眺めていた。眺めているうちに、だんだんと手順が分かってきて、手伝いが必要そうな人のそばに行っては何 か頼まれたりしていた。

戦後第一回目の花火大会が終わった後では、しばらく委員会はすることがなかったが、僕は工場へ通い続けた。作業の手伝いをする僕の動きは要領を得て いたのか、或いは口数が少ないから単に邪魔にならなかったのか、僕はなんとなくいつも工場にいる人になった。僕が一番好きなのは、星をつくる作業だった。 星とは、花火の玉の中に幾つも入っている火薬のかたまりのことだ。星が燃えていくことにより空に花が咲く。星の中心は、砂や菜種を湿らせた芯で、そこに火 薬をまぶしていく。まぶしては乾かし、乾かしてはまぶす。それを繰り返して丸いかたまりをつくる。まぶす火薬は和剤と言って、薬研(やげん)で細かく粉に した薬品や金属を混ぜ合わせて配合したものだ。薬品や金属によって光る色や鳴る音が違ってくるから、配合の異なる和剤が層になるようにすれば、上がった時 に色が変わるようになる。火薬にはなかなか触らせて貰えなかったが、手があいている時には、親方や花火師の人たちのそばで、彼らが注意深く和剤をまぶして いく様子を見ていた。どんな和剤をまぶしているのか、どういう順番でまぶしているのか。それを見ながら、頭の中で空に咲く花を想像した。その光、響く音。 花火師たちの丸まった背中や、いつでも黒い指先から、こんな色の花を咲かせてみたい、こんな音を鳴らせてみたいという声が聴こえた。ある日、僕の心を読ん だかのように親方が言った。「 まこと、うち来るけ?」 僕は花火師見習いとして働かせて貰えることになった。 なんとなく工場へいる人から、正式に工場にいる人になった。

工場の帰りには決まって豆腐屋へ寄った。豆腐を買うのでも、店番をするのでなくても、ただ豆腐屋へ行くようになっていた。お嬢さんと2人でぼんやり と座っている時には、花火の絵を紙に描いて、どういう風に和剤を配合しようか、どういう順番でまぶして星にしようか、その星を玉の中でどう並べようかと考 えた。お嬢さんは、黙ってその様子を見ていた。夏が過ぎれば長岡はあっという間に寒くなり、店先に座っていられなくなった。僕らは、気が付けば、家の中で ストーブを挟んで座っているようになっていた。

その日も、いつもの静かな夕方だった。僕は頭の中で花火を打ち上げながら、島峰さんが前に言っていたことを思い出していた。 長岡の空襲で亡くなった人のほとんどは、信濃川の花火を観たことがあるだろうと、島峰さんは言った。「その人達と花火を観た日のことを思い出したいと思っ てな。空襲でその思い出がなくなるなんて、なんか、おかしいじゃないか」 と。そして、ここのところ、自分が母さんたちのことを思い出していないことを思った。思い出していないことを知っているのに、わざとそのままにしているこ とを思った。同時に、お嬢さんは家族で観た花火を覚えているだろうか? と思った。豆腐屋の父親と、空襲で亡くなったお母さんとお姉さんと、皆で花火を観 た日をお嬢さんは覚えているだろうか? と。

豆腐屋には、空襲前のものは何もない。全て燃えてしまったからだ。もちろん、写真もないから、僕は彼女のお母さんやお姉さんの顔を知らない。彼女が 話してくれない限り、僕はその人たちに会うことが出来ない。そして、気が付いた。僕の中には、炭になった母さんたちしかいないことを。顔を上げてお嬢さん を見ると、お嬢さんが僕を見ていた。お嬢さんは今日も白いブラウスを着ていた。僕はそのブラウスに包まれた白く柔らかな肌を想像した。それに触りたいと 思った。その肌が必ず柔らかいことを思って、ほっとした。お嬢さんの手を見ると、いつも冷たい水から豆腐を掬ってくれるそれが、薄っすらと赤く染まってい た。 母さんの手伝いをよくしていた妹も手がいつも赤かったことを思い出した。久しぶりに、空襲前の家族のことを思い出した。そして、気が付けば、お嬢さんに家 族の話をしていた。働き者の母さんのこと、色白の妹のこと、やんちゃ坊主の弟たちのことを。優しかったじいちゃんのことを。お嬢さんは静かに僕の話を聴い ていた。

話しながら、僕は彼女が本当に柔らかく暖かいかどうかを確かめたくなった。その手にそっと触った。あかぎれた手は少しガサっとしていた。そのガサっ とした感じにビクッとした。けれど、お嬢さんがもう片方の手を僕の手に重ねてくれると、奥に血の流れているのを感じた。姿勢を保っていられないほどに安堵 した。同時に、怒りなのか、悲しみなのか、なんだか分からない感情が湧いてきた。静かだが、強い感情だった。そして、頭の中で、次々に花火に色がついてい くのを感じた。僕は目を閉じて、それに見入った。威勢よく響く音を聴いた。お嬢さんにも、それを観て欲しいと思った。お嬢さんの白いブラウスにいろいろな 色を映したかった。街や人が燃える赤ではなく、きれいな花火を映したいと思った。 焼夷弾が落ちてくる音ではなく、花に続く音楽を聴いて欲しいと思った。お母さんやお姉さんを懐かしく思い出して欲しかった。お嬢さんとなら、僕は家族を何 度も懐かしく思い出せると思った。今日のように。島峰さんのように。僕は言った。「僕が上げる花火を観に来てくれませんか?」

 

結局、妻は、一度も花火を観に来なかった。店のことがあるからとか、繕いものがあるからとか、説得力のない言い訳をして家に一人で残った。仲のよい 夫婦だったと思う。私も妻も口数が少なかったから、家の中はいつも静かだった。けれど、私は妻を愛していたし、妻もそうであったと思いたい。結婚後、妻は 島峰さんの家に住むことを主張し(そして、実際に住み)、同時に毎日、豆腐屋に父親を手伝いに出掛けた。少し時間はかかったが子宝にも恵まれた。家の中が 賑やかになった。夏の花火の時には、島峰さんと豆腐屋と3人の子供たちは、全員が、妻が縫った浴衣を着て、花火を観に来てくれた。やがて、子供たちは東京 へ出て行ったが、年に一度、花火の頃には揃って帰郷してくれた。

まもなく、島峰さんも豆腐屋も亡くなり、春と秋と冬には、夫婦2人の静かな生活になった。私は新聞広告の裏やら、妻がとっておいてくれるお歳暮の包 み紙の裏やらに花火の絵を描き、妻はその様子を見ていた。もう、繕いものもせず、豆腐も作っておらず、ただ、私の様子を見ていた。 やがて、一番上の娘に男の子と女の子が次々に生まれ、夏には一層、賑やかな日々が続いた。けれど、花火の日になると、店のことがあるからとか、繕いものが あるからと言って、一人で家に残った。そんなことはとうの昔からしていないのに。妻のブラウスはずっと白いままだった。

 

ある日、それは冬の寒い朝だった。前の晩、私たちはいつものように静かな夜を過ごし静かに眠りについた。その静けさの中で、妻はそっと亡くなったよ うだった。朝、目覚めると、いつもなら私よりも先に起きて、部屋を暖めておいてくれる妻が私の横で眠っていた。私は起き上がって、妻に声をかけた。返事は なかった。私はしばらく、妻のことを見ていた。それから、そっと布団をめくった。妻は仰向けで真っ直ぐに行儀よく横たわっていた。寝間着の胸元を少し開 き、彼女の小さな胸に触った。年老いてもなお、白くて柔らかい肌だった。私はその胸に顔をうずめた。その柔らかさに安堵した。気が付けば、私は嗚咽を漏ら していた。いつまでも、妻の胸に顔をうずめたまま泣いていた。

 

白い牛を睨みつけたまま、絵の前から動かない私の肩をモナがやさしく揺らした。我に帰ると、モナが何か紙の束を私に差し出した。手に取ると、それ は、私が描いた花火の絵だった。私は一度描いた図案を忘れることはなかったので、紙をとっておくことはしなかった。妻がこっそりとっておいたのだろうか?  「おばあちゃんに貰ったのかい?」そう聴くと、モナは小さくうなずいた。

「内緒だって言われたんだけど」と、モナは話しだした。「去年の夏、おばあちゃん、信濃川に花火を見に行ったんだって。おじいちゃんの作った花火が どれかすぐに分かったって言ってた。いつも、おじいちゃんの描く絵を見ていたからって」そう言うと、絵の一つを広げてしばらく見入っていた。私は何年か前 に花火師を引退はしたものの、毎年、一つだけ作って上げさせて貰っていた。妻が亡くなり、上の娘夫婦に強くすすめられ東京に住むことになったことで完全に 引退した。妻は私が上げた最後の花火を観てくれていたことになる。あまりのことに私は何も考えられず、ぼんやりとモナの腕にかかっているコートの白を見て いた。

「凄かったって、おばあちゃん言ってたよ」絵から顔を上げてモナが言った。「もっと、前から観に行けば良かったって。空襲を思い出したくなくて、怖 くて、怖くて、どうしても観に行かれなかった。行こうと思っただけで足がすくんでしまったって言ってた。けれど、今回は必ず行かなければならないと、なぜ か、強く思ったんだって。だから、一緒に家に残ってくれていた叔父さんに頼んで、こっそり、観に行ったんだって。私たちに見つからないように。観た時に自 分がどうなるか分からないからと言ったら、叔父さんが2人でこっそり観ればいいと言ってくれたそうよ」そこでモナはまた花火の絵に見入った。私は黙って、 その様子を見ていた。やがて、モナは続けた。「花火はね、それはそれはきれいで、暖かくて大きくて、おじいちゃんそのもので、空襲のことなんか思いつきも しなかったって。それで、来年はきっと皆と一緒に行くから、それまで内緒にしておいてと指切りした。なのに、その前に死んじゃった」モナはそう言って鼻を 赤くした。お嬢さんの手と、妹の手と同じ、優しい赤だった。

モナの言う叔父さんとは、末の娘の夫のことだ。末の娘は中国人の男性と結婚して、香港に住むようになっていた。娘婿の母親はインドネシアの華僑だ が、若い頃に中国本土の南京に渡ったそうだ。 インドネシアにいた頃に戦争を経験した。彼女の父親は日本兵に連れて行かれたまま帰って来なかったと聴いている。 娘婿は南京で生まれた。小さいうちに香港へ来たとはいえ、母方の祖父が連れ去られたことも含め、日本との戦争のことはいろいろと聴いていたようだ。そのた めか、末の娘は戦争にはとても敏感なところがある。けれど、娘婿は私や妻にもいつも親しげに接してくれた。私たち夫婦のことをお父さん、お父さん、お母さ ん、お母さんと呼んで、いつもニコニコとしていた。香港から長岡へ遊びに来る時には山のようなお土産を持って来てくれた。

ふと、島峰さんが話してくれた中国人の話を思い出し、それが娘婿と重なって私は頬を緩めた。微笑んでいる私をモナが不思議そうに見た。私は言った。 「モナの曾おじいちゃんが、おじいちゃんの若い頃に教えてくれた話があってな。中国人は火薬というすごいものを発明したのに、それで鉄砲じゃなくて、花火 を作るのに夢中になっていたそうだ」それを聴いて、モナは大喜びした。「叔父さんは本当は花火を観に行きたかったのね! でも、おばあちゃんを一人にした くなくて、我慢して家に残ってくれたのね。その優しい気持ちがおばあちゃんを信濃川に行かせたのね! きっとそうよ!」と大きな声を出した。美術館の係員 に睨まれたので、今度は声を低くして言った。「川べりまでの道を叔父さんは必要以上に隠れながら歩くから可笑しくて何度も笑ってしまったって、おばあちゃ ん、嬉しそうにしてた」島峰さんは、中国人がそんな面白い人達だと知っていたら、戦争なんて仕掛けなかったろうにとも言っていた。モナが、少なくとも一人 の楽しく暖かい中国人を知っていることが無性に嬉しかった。

モナが真顔になり、言った。「おばあちゃんは、こうも言ってた。おじいちゃんからの結婚の申し込みの言葉は、《僕が上げる花火を観に来てくれません か?》だった。今、やっと、申し込みを受けられた。もう少しで、戦争に人生を乗っ取られるところだった。おじいちゃんが一生をかけて、戦争から私を守って くれた」そして、おじいちゃんに是非観て欲しいマルクの絵があると、 再び、私の腕に自分の腕をからめた。

 

その絵には、深い碧の空に楽器を奏でる人がたくさん浮かんでいた。チェロを弾く人、ラッパを鳴らす人、ドラムを叩く人。あの、白い牛に似た動物もい た。羽が生えていた。葡萄酒を飲んでいるように見える。その様子に、私はまた頬を緩めた。奥に教会のような建物があり、その前を若い男女が幸せそうに歩い ていた。その後ろをぞろぞろと人が従っている。男性は空と同じ深い碧の燕尾服、女性は真っ白の足もとまでの長いドレス。手前には、女性の裸の胸に手をのせ る幸せそうな若い男が描かれている。《婚礼の光》という作品だった。その名の通りに、光にあふれた絵だった。1945年に描かれたもののようだった。

私は突如、空襲の前も後も、この光がずっと私のそばにあったことを理解した。ずっと、見えなくなっていた。私こそ、戦争に人生を乗っ取られるところ だった。この光がずっとそばにあり、これからもあることを思い出すために、 私は花火を作り続けていたのかもしれない。 白い牛に生きながらえされたのかもしれない。美しいものを美しいと感じる心が私にも妻にもちゃんとあったのだ。そう思うことができた。妻がいつか観に来て くれると信じ、妻はいつか観に行きたいと願い、その力で戦争とは反対の方へ方へと、ちゃんと歩いていたのだろう。妻も、最後の最後に、光を見たと信じよ う。私たちは、この絵の2人のように祝福されて結婚し、互いに助け合って生きたのだ。長くはかかったが、やっと2人とも光を思い出した。妻に会えたお蔭 で、人生を良いものとして終わらせられそうだった。私は、妻の白い胸の柔らかさを感じた。絵の中の女性の真っ白のドレスを美しいと思った。その白が白のま まに、いつまでも美しくあれと願った。私は黒焦げになった母さんと弟たちと、私を追おうとしたまま死んだ妹を思い浮かべた。そして、胸の前で手を合わせ た。

横を見ると、モナが私に微笑んでいた。この子になら話せるかもしれないと口を開こうとした時、モナが言った。「おじいちゃん、戦争の時の話を私に聴 かせて貰える?」閉館までにはまだ随分と時間があった。私たちは、《婚礼の光》の前のベンチに腰を下ろした。私は碧い光を感じながら、ゆっくりと、あの日の話を始めた。

 

長岡弁指導:高山ひろみ、今井由美子、小野友恵

 


 


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ほさかひろこ Hiroko Hosaka / 小説書き、朗読者、指圧師見習い

短編小説を地道に執筆。詩や絵本、小説の朗読を 行う。マラソンなど延々とする感じのことを好む。最近、家の猫が2匹になり、猫のことばかり考える日々を過ごす。bpnf1219@gmail.com

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田之上尚子 / 挿画家

ペンと水彩で、物語の世界を描く。絵本・エッセイ挿絵・ポスターイラスト等手がけたり、年に2、3回画廊やギャラリー、病院内で個展を開催。

音楽も好きで、長野県松本発バンド『有機幻燈』に所属し、パンデイロなどの、鳴物も勉強中。

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HosakaHiroko

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小説書き、朗読者、指圧師見習い 短編小説を地道に執筆。詩や絵本、小説の朗読を行う。マラソンなど延々とする感じのことを好む。最近、家の猫が2匹になり、猫のことばかり考える日々を過ごす。 田之上尚子 / 挿画家 ペンと水彩で、物語の世界を描く。絵本・エッセイ挿絵・ポスターイラスト等手がけたり、年に2、3回画廊やギャラリー、病院内で個展を開催。 音楽も好きで、長野県松本発バンド『有機幻燈』に所属し、パンデイロなどの、鳴物も勉強中。
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