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Apr 28, 2017

ユーラシア大陸車輪紀行

キリル

Photo & Text by Taichi

taichi_may

 ぼくは自分の目線を、スタッツの顔と、彼が抱える、真っ赤な血がちりばめられた白い布切れの間を行ったり来たりさせる以外は何もできず、ただ黙っているだけだった。

そうしてただ黙りこむだけで、ぼくは、ぼくたちはスタッツが口を開くのを待った。

永く短い沈黙がキリキリと音を立てながら部屋中を縦横無尽に駆け巡った。

そろそろ沈黙が部屋中に充満する頃、ぼくたちの気持ちを見透かすように、スタッツがゆっくりと、まるでスローモーションのように、口を開いた。

「今はまだ最悪なことになっていない」

スタッツはぼくたちの緊張を感じ取り、まずは安心させようとしたのだろうか。ぼくたちにもわかるように、ゆっくりと言葉を選んだ。

しかし、続いて彼の口から出てきた言葉をぼくたちは全く理解できなかった。水を貯め続けたダムに亀裂が走り、そこから一気に決壊し、水があふれ出すように、スタッツの口からは言葉があふれ出した。

ぼくはただただ音を必死に寄せ集めては、耳に押し込んだ。

ぎゅうぎゅうに詰め込まれた言葉が、ジンジン音を立てて絡み合いながら、不気味なナニカを形成していった。

『キリルが事故に遭った。』

『KTMの修理が完了して、それを取りに行く途中だった。』

『ばかやろう』

『飲酒運転の車に巻き込まれた』

『くそったれ』

スタッツの目線はぼくたちのどちらとも合っていなかった。

 

すべての言葉を吐き終え、また痛いほどの沈黙が訪れた。そしてゆっくりと絡まりあいながらも、スタッツの言葉がぼくたちの頭の中で繋がった。

キリルは修理が完成したバイクを取りに行った帰りに、飲酒運転の車に巻き込まれ、事故にあった。

 

一瞬で心臓が紙屑のように縮み上がるのを感じた。

 

キリルがバイクの修理の完了を楽しみにしていたことは知っている。初日に彼のガレージに行った時に嬉しそうに説明してくれていたのだから。

 

愚かで、浅はかで、軽骨な言葉が口をつきそうになった。

−−どうしてこんな時間に−−

ぼくは言いかけて、ハッと口を閉ざした。

鴻志が何か口を開きかけて、もう一度閉ざす。

 

−−なぜ今バイクを取りに行くのか。どうして日が暮れてから。この辺りは日が暮れても街頭はまちまちだ。修理場の多い郊外はそれすらない−−

−−なぜ、どうして—

 

二人ともわかっていた。

ぼくたちのせいだ。ぼくたちの世話をするために、こんな時間じゃないと取りにいけなかったのだ。

 

ぼくたちだ。

キリルの仕事を遅らせていたのは誰だ。

はっきりしている。ぼくたちだ。

 

キリルが朝出かける前に冗談を口にしていた。

「お前達の子守りが大変過ぎて休日出勤だ」と。

笑いながら、ぼくたちのビザや船が首尾よく進まない事を慰めるために。

 

ぼくたちが彼に甘えていたからだ。

頭の片隅でずっと晴れることのない霧の向こうにあった、気味の悪い塊の正体が分かった気がした。

 

「今すぐキリルに会わせてくれ」

考える間もなくぼくたちはスタッツに詰め寄っていた。

 

スタッツの後ろには、いつの間にかセルゲイがぼうっと立っていた。

 

「キリルは意識不明で今は誰も会えない。家族ですら謝絶されるだろう」

弱々しく首を振りながらスタッツは答えた。

 

そして、セルゲイの方を向きながら続けた。

「今日はセルゲイがこの家に泊まって、明日キリルのお母さんが来るのを待って病院に連れて行く。お前達は今晩はもう寝て、明日からは俺の祖父母が使っていたマンションを使うといい」

 

またすぐに戻る、そう言うとスタッツはセルゲイの肩を叩き、玄関のドアを開けた。

 

ぼくの口からはどんな言葉が出ることもなかった。

 

ドアが閉まると同時に、ぼくは彼らと一気に他人になった気がした。

 

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旅人、かく人。文章を書き、未来を描き、己の信念に人生を賭けながら、たまにはゆっくりとあぐらも掛く。旅や出会いの中で頭にこびりついた言葉・風景・感覚を丁寧に剥がし、自分なりに再成形し、表現し、生きている。 今回はユーラシア大陸を半年以上かけ、バイクで横断した24歳青年の話を私小説として連載する。
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