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Jul 2, 2017

ユーラシア大陸車輪紀行

別れは笑顔のままで

Photo & Text by Taichi

taichi_july

今までの楽しかった旅の思い出は間違いなく存在する。

たった2ヶ月で数えきれないほど多くの人に出会い、別れを惜しまれながらも背中を押され、2台の鉄馬に跨り、壮大な土地を走り続けてきた。

次はどんな人に出会えるだろう。彼らが住んでいる街には、どんな色の街灯があり、彼らはその下で何を話し、どんな笑顔をするのだろう。好きなビールのブランドはなんだろう。どの銘柄のタバコを吸うのだろう。

日本のことをどれくらい知っているのだろう。まだちょんまげ頭の侍が街中を闊歩していると思っている人はどれくらいいるのだろう。

どんな家に住み、朝食には何を食べるのだろう。英語は話せるだろうか。

次の街の人を紹介してくれるだろうか。

 

甘えが生まれていたのだ。

知らぬ間に、してもらうことに慣れ、それが当然になりつつあった。

彼らの仕事や恋人との時間に気を配っていただろうか。

ぼくたちが特別な時間を彼らに与えていると勘違いしていなかっただろうか。

「すごいね」「俺には無理だよ」「勇気あるね」、そんな言葉をかけられつづけて、自分たちが優れている、誰にもできないことを遂行している、と勘違いしていたのではないだろうか。

日本のどこにでもある居酒屋からスタートしたこの旅は、そんなに崇高なものだったのだろうか。みんなと同じように道を歩めずに、半ば勢いで始めた旅が、まるで世界に広がった大宗教のように出会う人を勇気付け、明日への活力を与えるほど偉大で高尚なものだろうか。

違う。

ぼくたちが勇気付けられ、明日への活力を与えられていたはずだ。

中にはそう言ってくれる人もいた。だが、ぼくたちはその賞賛の言葉に改めて背中を押され、ハンドルを握り続けることができたのではないのだろうか。

この数週間で伸びきった自分の鼻を思い切りへし折りたかった。

胸の奥が痒くなり、叫びだしたいような衝動を抑えながら、ぼくは宙を見つめながら一晩を過ごした。

 

鴻志が何かをつぶやき、ぼくはそれに答えたが、彼が何をつぶやき、ぼくがどう答えたかは一切どうでもよかった。

ただ二人は、日本から遠く離れた空間でひとりではないことを確かめたかっただけだった。

翌日、ぼくたちを迎えに来たスタッツは、昨晩とは打って変わって今までの彼となんら変わりなかった。

彼はぼくたちをお気に入りのレストランへ連れて行き、街一番のショッピングモールでは、ぼくたちに必要な食料や、バイク用品を買ってくれた。

ぼくたちが断ろうとすると、彼はキリルが事故に遭った夜に見せた悲しい顔をし、気にするな、とだけつぶやいた。

キリルの代わりを努めようとするスタッツに、ぼくたちは何も言えず、感謝だけを述べた。

会うたびに、ぼくたちはいい方こそ毎回変えていたが、キリルの容態を尋ねた。その度にスタッツは首を振り、意識が戻らないと答えた。

とうとうビザの期限を2日後に控えた日の朝、キリルが事故に遭った夜以来鳴る事のなかった携帯が突然音を立てた。

ディスプレイを見るとスタッツの文字が表示されている。

ぼくたちはお互いに顔を見合わせた。

 

二人ともが少しの期待と、大きな不安を孕んだ醜い表情をしていただろう。

キリルに会えるのか、それとも。

そんな事は考えたくなかったが、どうしても頭に負のイメージがこべり着いて離れない。

鴻志がそっと緑色に点滅する通話ボタンを押した。

途端、スタッツの元気そうな大きな声がスピーカーから漏れ、携帯を耳に当てていないぼくにも聞こえてきた。

「喜べ!」

その言葉だけで、頭や胸の奥で勝手に体積を大きくしていっていた汚れた風船が急激に萎んでいった。

次の言葉を待った。

「アゼルバイジャンへの船が明日来る!」

どう答えていいのかわからなかった。喜ぶべきなのだろう。喜ばなければならない。そして感謝すべきなのだろう。

自分たちのためにあらゆる知り合いに連絡を取ってくれ自らの時間を割いてくれたスタッツに。

キリルに。

これ以上ない程の感謝をしている。

どうすれば心から喜ぶことが出来るのかわからなかった。

萎んでいったはずの汚れた風船がまた加速度的に膨張していく。この数日間何度もキリルに会いにいく事を望んだ。

その事を口にもした。その度にスタッツは首を振った。

「もう一つニュースがある。キリルが昨日手術をした。後数時間すれば意識を取り戻すようだ」と。

喜んだ。今度こそは心の底から喜んだ。そして、スタッツが言い終わらないうちに聞いていた。

「キリルに会えるか」

今度は少し惑う様な声で答えが返ってくる。

「分からない。今は母親だけしか会ってはいけないと言われているんだ」

ぼくたち3人の心の変化に合わせるかの様な間が空く。

「…………ただ」

どうにかその沈黙を破るべく鴻志が口を開く。

「どうしても俺たちはキリルに会わなければいけない。あって絶対にお礼を言わなければならないんだ」

無茶な事を言っているのは重々承知している。電話の向こうのスタッツの表情もまるで想像できる。

「お前達の気持ちは痛い程よく分かる。俺だって早く会いたい。……よし、明日病院に行こう。無理だと言われてもここはカザフスタンだ。どうにかなる。明日の朝車で迎えにいく。お前達は船に乗る用意を済ませて待っていてくれ。」

彼の表情をぼくは想像できていなかったようだ。

なんて心強い言葉だろう。ここはカザフスタンだ。どうにかなる。

そうだ。無理だと言われても押し切ればどうにかなるだろう。

はじめて、ルールがあやふやな国柄に感謝をした。

逸る気持ちを抑えアゼルバイジャンに向けての準備をしながら一日を過ごした。

 

次の日早くに目覚めたぼくたちはそわそわしながらスタッツを待った。外から一際重いランドクルーザーのエンジン音がした時には、既に荷物を背負いマンションを出るところだった。

会って初めになんと声を掛けよう。どんな話しをしよう。アゼルバイジャン行く事が出来る事をどんな表情で話せばいいのだろう。

助手席に座る鴻志とハンドルを握るスタッツを見ながら、延々と同じことを考えていると知らぬ間に病院に着いていた。

急ぐ気持ちを抑え院内を歩く。小学生の時の授業参観の前の様な、学校に持っていっては行けないものを持っているのが見つかった時の様なわけのわからない、ふわっとした浮遊感、脳みそが生乾きのセメントになった様な感覚だった。

キリルの階に到着しナースステーションでキリルの部屋番号を訪ねる。

一人目の看護婦は教えてくれない。彼は今は面会謝絶だと言われるだけだった。二人目も結果は同じだった。

業を煮やして一室一室開けていこうとすると、一人目の看護婦がぼくたちを呼び止め呆れた顔で、彼は一番奥の部屋にいる、と教えてくれた。

一室ずつ行くと結局辿り着くのは最後になるし、迷惑なので教えてくれたのだろう。

長い長い廊下を息を呑みながら歩く。彼の部屋、8号室が現れた。

扉の戸をそっと開ける。

一番奥にキリルはいた。薄く目を瞑り、まどろみの中にいるようだった。

ぼくたちの足音に気付いたのだろう。ゆっくりと目を開け、弱々しくこちらを向いた。

天上から吊るされた右手足。血の気のない顔色。これまで一切日に当たらず過ごしてきた幼い子供の様な蒼白い肌の青年がそこにはいた。

考えていた言葉、表情、仕草。それらが一気に消し飛び、脳みそが真っ白のキャンバスに変身した。

キリルはスタッツと少し話した後、

「ぼくたちにアゼルバイジャンに行けてよかったな、おめでとう」とぎこちなく笑った。

言い終わると、また同じ笑顔で「これは皮肉だぞ」とも言った。

本当に皮肉であって欲しかった。キリルがどれだけ優しく、どれだけ温かくとも。

枕元にある籠に入ったフルーツ。その隣にある薬を飲むための水筒。

そこには初日にキリルに手渡したぼくたちのオリジナルステッカーが貼られていた。

ぼくはその場で声をあげて泣き出したかった。

泣きながらキリルに謝り、ありがとうを言い、彼に笑いながら大丈夫だと言って欲しかった。

そんな事が出来たらどれだけ楽になれるだろうか。

そんな事をしたらどれだけキリルが辛くなるだろうか。

もう少しだけたわいのない話。どの看護婦が可愛いとか、やっぱり病院の料理はまずいだとかの話をしていると、ぼくたちの船の時間が来た。

じゃあまた必ず連絡すると言い、弱々しい握手をかわして病室を出ようとした。

鴻志とスタッツに続き病室を出ようとし何気なくキリルを振り返った。

キリルはまだこちらを向いていた。振り返ると同時にキリルが口を開いた。

「またいつでも遊びに来いよ」

今度はさっきよりも澄んだ、初めて会った日のような笑顔で。

ぼくは何も言わずしわくちゃの顔で頷くだけだった。

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旅人、かく人。文章を書き、未来を描き、己の信念に人生を賭けながら、たまにはゆっくりとあぐらも掛く。旅や出会いの中で頭にこびりついた言葉・風景・感覚を丁寧に剥がし、自分なりに再成形し、表現し、生きている。 今回はユーラシア大陸を半年以上かけ、バイクで横断した24歳青年の話を私小説として連載する。
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