Magazine
Jul 9, 2017

世界丸ごと食べ歩き

フランス編

~美食の都リヨン

 Text by Mark Akabori

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南仏のエクスプロバンスを後にして、フランスの誇るフランス版新幹線TGVで約1時間強で、フランス南北部でパリに続く第二の商業都市リヨンに到着した。紀元前1世紀、ローマ帝国のガリア植民地の首府として栄え、複数の旧市街歴史地区(2000年以上前から存在)、ローマ時代の遺跡、絹織物工房などの歴史を誇る、ユネスコが世界遺産に指定した偉大で素敵な街であり、パリからもTGVで2時間弱の距離にある。リヨン市内にはローヌ川、ソーヌ川、ボジョレー川の3つの大河が流れている。

2016年ワールドトラベルアワード授賞式でリヨンは “ヨーロッパで最高の週末を過ごせる街“ 大賞を受賞した魅力的な街でもある。個人的には、華やかさのあるパリより、リヨンのほうが、街がこじんまりしてしっとりしていて、生活するにはこの街が好きだ。

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バンクーバーの友人がこの秋にリヨンに1週間滞在し、この素敵な街で暮らすように旅するという、フランス語が達者でフランスがよく似合う彼女が実に羨ましい。

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このエッセイを執筆していると、急に入社2年目に海外部門の同期と二人で夏休みに絡め何と2週間欧州に珍道中したことが懐かしく思い出された。1970年代初期の当時には長期休暇がなかなか取りにくく、先輩や同期からは、新入社員のぶんざいで、ようやるぜ戻ってきたら籍がなくなるぞとも脅され、やっかみと嫉妬半分で職場内で物議をかもしだした。

それでもひるまず、この若い時だらこそ行くことに意味があり、長期休暇取得で今後のサラリーマン人生に影響を及ぼすこともあるまいし、ここは強行突破で行こうと腹をくくったのである。海外部門志望動機は当時のTV番組で見た兼高薫の世界の旅で紹介される世界中の国々の文化や歴史に魅せられ、いつしか世界を股にかけるビジネスマンが自分の憧れの的であった。

入社後希望通りに、海外部門に配属されたものの、新人の頃は米国取引先や子会社の来客者の送迎が業務の一つで羽田空港によく出かけた。。その内、国際便の送迎ゲート先の赤い絨毯に足を踏み入れ海外に行ってみたい気持ちが日々募るばかりであった。入社早々では海外出張の機会も与えられるわけもなく、この時、自腹でも海外に行こうと決断したのである。

されど、問題はどうやって上司を説得するかである。そこで考えた大義名分は海外部門に属する身分としては、お仕着せのツアーでなく自分で練った海外旅行プランで欧州諸国を訪問し見聞を深め研鑽することで、初海外出張でも即戦力として活躍出来るように予行演習をしておきたいと直訴した。そして、ほどなく相棒ともども、何とか上司から長期休暇の承認取得したのである。加えて、内心は新婚旅行の下見も兼ねていたが結婚が遅れ、すぐには役立なかったのである。

今でこそ万人が海外旅行に行く時代であるが、昔は360円/ドル換算で海外持ち出し規制もあり海外渡航それ自体が珍しい時代であった。従い、後に海外出張に行くとなると、たくさん餞別をもらい、帰国の際にお土産探しが大変で、空港免税店で買い求めた重たいウィスキーを抱え帰国したことをに思い出す。そういえば、私が米国留学で出国の際には両親家族はもちろんのこと友人、会社上司、親戚まで沢山の方が空港に見送りにきて下さり、よりによって公衆の目前で胴上げまでされ、まるで戦地に出向くような面持ちで、何やらとても恥ずかしかった記憶がある。

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直木賞作家の亡き深田雄介の確か“東方見聞録”か“炎熱商人”の著書に大昔の外遊や日本文化にかかわる実体験の面白い記述があったのを思い出した。初めて海外に出向く日本人が道中お腹がすくだろうと用意された海苔で包み込んだ大きなおにぎりを、いくつか持参して、飛行機に乗り込んだ。結局おにぎりを口にせず、カバンに入れたまま現地空港に到着した。

そして現地到着後に通関の持ち物検査で係官が得体のしれない黒い物体を見つけ、爆弾と思いこみ、現物確認のため到着客を非難させるなど厳重な警戒体制のもと、爆発未遂で大騒ぎになり翌朝の新聞にも記事が掲載されたとのことであった。

一方、商社マンが都内のある有名高級料亭で米国人の得意先を接待した。その際、米人が宴席を中座し、用を足しトイレから出てくると、入り口には仲居さんが何とおしぼりを手にして正座して待っているではないか。米国人はこの事情がまったく呑み込めず、あれこれ咄嗟に考え、日本人はきっと清潔できれい好きなのだからと思い、恐る恐るズボンのジッパーを下ろし、なんと自分の大事な一物である肉樹を恥ずかしながら差し出したのである。

仲居さんは何か変だなと思いつつも、米国ではこういう仕来りなのかなと割り切り、上目づかいに、あまりの肉樹の大きさに,たじろいながらも肉樹を手にして持ち上げながら、丁寧に、温かいおしぼりで拭いてあげたそうである。この米国人は、日本の特別な気持ちの良いおもてなし?にすごく感銘を受け、同僚を始め友人に話すや否やこの店に外国人が殺到し、店が大繁盛したとのことである。

昔話といえど、まるで作り話のようで誠に信じがたいような話である。察するに、当時は日本がそれ程、海外では神秘的で未知の国であり、日本の文化や生活習慣も自ずと知られていない不思議な国であったのかもしれない。

我ら二人の欧州歴訪の旅はこれ程ではないにせよ、見るもの聞くもの全てが凄く刺激的で、驚きの連続と共にハプニングの連続でもあった。北欧に始まり英国、ドイツ、スイスと周りそしてフランスが最後の訪問国であっという間に2週間が過ぎ去った。そして、いよいよ、パりで、帰国前日を迎え軍資金もそろそろ底をついてきた。それでも今宵は豪勢に最後の夜を楽しもうと、二人とも出費の覚悟をしていた。先ずは、フレンチカンカンで有名なムーランルージュへ行き、次に上品で芸術的なストリップテイーズをクレージホースで鑑賞し、モンマルトルのシャンソニエで本場のシャンソンを堪能し、シャンゼリゼ通りを意気揚々と闊歩していた。

フランスに入国して以来、限られた場所しか英語が通じず、相棒が一橋大卒で自称フランス語が得意の触れ込みであったが、まったく通じず言葉のバリアーを感じていた。やはり、異国で言葉が通じ合えることが出来れば、その国の表情をより知ることができ理解できるものだと強く感じた。

そんな矢先に真夏にアイホリーホワイトの三つ揃いの麻のスーツを着たお洒落な初老の紳士が流暢な英語で我々に話しかけてきた。カフェで旅行のエピソードを楽しく語らいお互いにすっかり打ち解けた。彼が帰国前の前夜に最高の思い出を作ってあげようとの申し出を受けて、シャゼリゼ通りから約15分歩いた裏通りの地下のクラブにに連れて行ってくれた。そこはまさしく美人の園であった。

我々についたホステスは当時フランスの植民地であったアルジェリアから来た混血の美人女性で、黒髪で黒い瞳のエキゾチックな容姿がとても魅力的であった。話に夢中になる間に何時しか連れてきてくれた初老の紳士は挨拶も告げずに既に消え失せていた。それに気が付いた時には時すでに遅しであった。すっかり気が大きくなり、ホステスがシャンペンボトルの栓が開けられ今宵は高い宴席になることが容易に想像できた。

そしてここへ連れてきた初老の紳士はまさしく客引きのおじさんに他ならなかったことに気づいたな時には後の祭りであった。この現実に酔いもさめ、持ち合わせも乏しく懐具合が気になりだした。すると、隣の席で飲んでいたフランス人の2人組が同様にシャシャンペンを開け飲んでいたので、これが我々の勘定の目安になると相棒と二人でじっくり観察していた。

彼らはチップを含め邦貨で約4万円を支払ったように思え、現在の貨幣価値を考えると決して安くないが、二人の持ち合わせで何とかなる金額でこれも社会勉強と思い、やむなしとこの金額を払うつもりでいた。ところがである我々の請求書には観光客価格の約50%増しの6万円の金額であった。マネジャーを呼び、この価格差に文句を言いフランス人価格にしろと迫ったが、全く拉致があかず交渉は平行線であった。

JCBカードも使えず持ち金の現金もなく成すすべがなかった。我々は無賃飲食するわけではなく、あくまで正当な対価を払うという意識で、フランス人価格の手元にある現金約4万円相当のフランをおいて大胆にも逃げようと覚悟を決めたのである。旅の最後に社会人として汚点を残すことはしたくないが、新聞ざたになるとも考えられず最終的に腹をくくった。

二人は申し合わせてトイレに行くと見せかけ、店の出口を左右に分かれ、一目散に全速力で一気に逃げた逃げた。当時の私は今よりずっとスリムで脚力もあり、逃げおおせる自信もあった。途中までは店の用心棒のような大男が追ってきたが余りの速力の違いに諦めたようであった。ほどなくして、二人ともホテルに別々に戻ったが、店に連れて行った初老の紳士が我々のホテルを知っていることから、その晩はよく眠れなかった。

このほろ苦い経験と決して安くない先行投資がその後の人生で良い社会勉強になったことは言うまでもないのである。しかし、この時の大胆な判断と行動を振り返っても今なおスリリングな思い出である。

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フランスの美食の都として世界的にも知られるリヨンはボージョレ、ローヌ、ブルゴーニュのワイン産地に囲まれ、ブレス産の鶏肉,シャロレー牛の生産地に近い上に、ドンプのカエル、エスカルゴ、ザリガニなど美味しい食材の宝庫で地理的にも恵まれている。歴史的にもルネサンス時代に、いち早く当時の文化的先進国であるイタリアの影響もうけたことも美食の街として発展した要因かもしれない。

先に紹介したスペインのサンセバスチャンと同じでリヨンもミシュランの星を多く獲得している店がとても多く、パリをもしのぐ美食の都である。

リヨンには気取ったフランス料理を出す店だけでなく“ブション“と呼ばれる大衆食堂が軒を連ねリヨンの伝統的な豚の加工料理や、すり身のような料理のクネル、鶏レバーのムースなどの家庭郷土料理を味わことができる。

さて、リヨンを訪れる最大の楽しみは世界的に超有名高級レストランのポールボキューズのメインダイニングで会食することである。リヨン旧市街のあるソーヌ川の北にあるこのレストランまでタクシーで約30分弱、道中ここでの食事の期待が益々膨らみ、昨晩から抑え気味の腹具合で、本日は体調を整えまずはベストコンディションで臨んだ。突然現れたこのレストランの外観は緑ベースに黄色や赤の奇抜な外観に驚きはあったがこの、屋内はフランスらしい豪華でありシックで落ち着く伝統的なたたずまいであった。

この店は1965年に初めてミシュラン3つ星に選ばれて以来50年もの間、ずっと守り続けているフランス料理界の巨匠ポールボキューズポールの老舗レストランである。地元が生んだフランス最優秀職人MOFを取得した偉大な料理人のポールボキューズは、街のいたるところに写真や肖像画、銅像までが飾られ、そしてリヨン中央市場には彼の冠の名前がついており、ムシュポールがいかに地元の人に愛され尊敬されているかを如実に物語ってる。

ポールボキューズはかつて地味だったフランス料理に“ヌーベル・キュイジーヌ”と呼ばれる新しい革命を料理界にもたらし、世界中にフランス料理を広め、料理学校を自ら設立し優秀なシェフを輩出し料理人の地位向上と尊厳に大きく貢献した。

ボキューズは87年の国際料理コンクール“ボキューズドール”を設立し料理人が最もあこがれるコンクールとして有名で、日本では辻料理学園の辻静雄氏とも親交が厚く、日本のフランス料理を進化させるとともに日本の懐石料理の料理法、食材、盛り付けにも強い関心を示し、造詣が深いと言われている.

私自身、正直なところ、大のフランス料理好きでなく、ソースとこってりした重い味わいはたまに食べたいぐらいの意識であった、そして、自分の舌を信じて大雑把な男の手料理を作る立場からすると、計量カップを駆使し、レシピ―通り手間ひまかけて作るのは正直面倒くさく、自分には何か不向きであると感じていた。

しかしながら、ポールボキューズの料理は一言でいえば別格でトップ・オブ・ザ・トップでフランス料理に対する意識が大きく変わったと言っても過言ではない。

いわゆるフランス料理の王道でありながら、スズキのパイ包み、かの有名な黒トリュフのス-プ、クレームビューレを今の形にした立役者であり一つ一つが手間暇かけて丁寧に作られた料理はプレートに一切の無駄なものがなく食材の絶妙なハーモーニーは正しく感動ものである。

加えて、サーブする人がすごく大勢で客に対する目配り心配りが行き届き卓越したサービスはこれまた世界一流店の証である。客層は上品で男女身なりもドレスアップしており、さすがにな誰一人として写真を撮っておらず、料理の写真を撮るのは躊躇しギブアップし、掲載できず残念である。

メニューは前菜、主菜、チーズ、、デザートで165ユーロ―から例のトリュフスープも含まれるフルコースで265ユーロ(2016年6月時点)です。これにワインを入れると決してお安い値段ではないが世界のトップクラスのフランス料理を一生に一度は食べる価値が十分あると思うのである。

PAUL BOCUSE

50Rue de laPlage,69660

Collonges-au-Mont-d’Or

https://www.bocuse.fr/en/paul-bocuse-restaurant.html

嬉しいことに日本国内でも東京大阪などの大都市で、よりカジュアルで割安なポールボキューズのビストロ料理が気軽に食べられる。リヨンにも本店以外にビストロタイプの店が2軒ある。

下記のBLOGをご参照ください

http://www.tsujicho.com/column/cat/post-277.html

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巨匠のポールボキューズが得意とする下記の料理のメニューをご覧ください。

この中にはスズキのパイ包み焼など今やフランス料理の定番となったメニューも数多く見受けられる。

スペシャリテ

前菜 

オマール海老のサラダ仕立て トリュフ風味 ソース・オロール(Salade de homard aux truffes, sauce aurore)

新鮮なオマール海老と酸味をきかせたオーロラソースの前菜。

サーモンのマリネ、ディルの香り(Saumon Frais Marine a l’Aneth)

1980年代にパリ8区にある北欧料理のレストラン「コパナーグ(Copenhague)」からポール・ボキューズが取り入れたといわれているサケのマリネ。

スープ

V.G.E.に捧げるトリュフのスープ / 1975年にエリゼ宮にて(Soupe aux truffes noires V.G.E. / Plat crée pour l’Élysée en 1975)

1975年にフランスの料理人として初めてレジオンドヌール勲章(シュバリエ級)を受勲したポール・ボキューズが、その際のエリゼ宮での晩餐会で、時の大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタンに捧げた伝説のスープ。

スープ鉢の上面に、懐石料理の「椀」のふたに見立てたパイをかぶせて焼き上げたもので、パイにナイフを入れた瞬間立ち上るトリュフの香りと、パイ自身の持つ芳香が絡みあうことで独特の効果を上げた、懐石料理をフランスで再現したものといえる。

「スープ・エリゼ」または「スープ・ヴェ・ジェ・ウ」(V.G.E.はジスカールデスタン大統領の頭文字)とも呼ばれている。

ムール貝のスープ サフランの香り(Soupe de moules de Bouchot Aux pistils de safran)

ブイヤベースに似た魚のスープにたっぷりのムール貝と生クリームを加えたもの。

魚料理

ルージェ(ヒメジ類の白身魚)のポワレ。ジャガイモのクルスティヤンをうろこに見立てて (Rouget en ecailles de pommes de terre croustillantes)

薄くスライスしたジャガイモをきれいに並べてうろこのように見立てたもの。

スズキのパイ包み焼き ソース・ショロン (Loup en croûte feuilletée)

フェルナン・ポワンから伝えられた料理で、スズキ一匹を魚の形そのままパイで包んで焼いたもの。ポワンの時代はシンプルなブール・ぶらんソース(バターソース)が添えられていたという。ボキューズは酸味の効いたショロン・ソース(ベアルネーズソースにトマトピューレを加えたもの)を泡立てて使い、この料理を完成させた。

肉料理

牛フィレ肉のロッシーニペリゴール風風(Filèt de boeuf Rossini aux legumes de marche, sauce Perigueux)

別名 「トゥルヌド・ロッシーニ(Tournedos Rossini)」

美食家でもあった音楽の巨匠ロッシーニが愛した料理で、オーギュスト・エスコフィエ(Auguste Escoffier)の名著「料理の手引き(Le guide culinaire)」(1903年パリ刊)にも作り方が書かれている。

フォアグラの胸肉包みとモリューユ茸(Supreme de Volaille au Foie Gras et Morilles)

フォアグラをブレス産の鶏胸肉で包んだもので、周りに新鮮なモリーユ茸、下にはわずかにしんなりするまで茹でたホウレンソウを敷いたもの。

ブレス鶏のヴェッシー(豚の膀胱)包みソース・フルーレット (Volaille de Bresse en vessie”Mere Fillioux” 

風船のように膨らんだ膀胱のなかに、しっとりと火が通ったブレス鶏が入ったもの。

デザート

クレーム・ブルリュレ(Crème brulee )

「Crème」は「クリーム」または「プディング」、「brulée」は「焦げた」の意味で、こくのあるカスタードプディングの表面に砂糖をふりかけて表面をこんがり焼いたもの。

スペインのカタルーニャ地方のクレマカタラーナ(Crèma Catalana)をもとに、1980年代に今の形にしたのはポール・ボキューズで、映画『アメリ』で有名になった。

ウ・ア・ラ・ネージュ(Œufs a la Neige 泡雪卵)

フランス語で、「Œufs」は「卵」、「Neige」は「雪」のことで、「Neige」は卵白を泡立てた状態を表すときにも使う。

卵白に砂糖を加えて泡立てたメレンゲに火を通して固め、クレーム・アングレーズ(Crème Anglaise)に浮かべたもの。ポール・ボキューズの著書では、祖母におそわったとある。

同じようなデザートにイル・フロタント(Île Flottantte 浮島)があり、これはクリーム

 

ポールボキューズ以外にも美味しい店が目白押しのリヨンでここがおすすめの店を紹介します。

PIERRE ORSI

https://www.relaischateaux.com/us/france/orsi-rhone-lyon

ミシュラン星付きのレスランこの店はクラッシクなフランス料理であるがしつこくもなく美味しい。

特にブレス(鳥)料理のグリルがお薦めでこれを焼き鳥で食べてみたいと思うのは日本人だけかな。笑

デイナーだと敷居の高い店もランチなら気軽にリヨン自慢の食材を食することができるのが嬉しい。

 TAKAO TAKANO

http://www.takaotakano.com/

本場リヨンのフランス料理界で独自の和風スタイルで名をはせる日本人シェフとして注目され、値段もお得感がある。

欧州グルメの旅も終演を迎え、リヨンから一気にドーバー海峡を列車で渡り、、ユーロ―スターで私の大好きな英国ロンドンへ向かった。次号は英国の食事は美味しくないと思いの読者に今や欧州のグルメの注目を浴びているスポットを紹介しますので乞うご期待!!

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Mark Akabori

Mark Akabori

1950年5月18日生。この世に生を受けた時間がなんと午後3時おやつの時間でこの時から先天的食欲症で食べること大好き人間。それが講じて男の手料理をたしなむ。 父は生命保険会社勤務で当時は自宅接待が多くお客さんの多い家庭に育ち母親は料理上手。 青山学院大学卒業後、日産自動車(株)本社に勤務。米国イリノイ大学ビジネススクール(MBA)社費留学を契機に米国を中心にカナダ、中東を含め累計約25年間駐在し訪問国は70を超える。 本年66歳を機に日系自動車販売会社のカナダ事業CEOから現役引退し、自宅のある米国ミシガン州のデトロイト郊外に暮らす。
Mark Akabori

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コメント8件

アバター Anna | 2017.07.11 16:41

待っていました、フランス・リヨン編!
ポールボキューズ・レストランでの写真がないのは残念でしたが、メニューの詳細は興味深く読ませていただきました。また掲載されている他の写真、街並みを見ているだけで、素晴らしい街であるのが伝わってきてわくわくします。
そして、赤堀さんの若かりし頃の欧州旅行のお話などなど、またもや笑わせていただきました!
学生時代に1年住んだことのあるロンドン、、次回ロンドン編も興味深く楽しみにしています。

アバター Jerry Miyauchi | 2017.07.12 1:35

赤堀さん、
休暇申請の時、私は時の人事部長から、君の先輩達は長期休暇なんて誰1人として申請していない。と言われ入社の時の年休の説明は嘘だったのかと切り返してOKを貰ってSFOへ向かいました。カリフォルニアの免許の更新で行かねば、との思いでした。
メニューを見てるだけで楽しくなります。コースで頼むとお金だけでなく体重にも響きそう。ソースの国の料理は魅力がありますね。
今週は休暇を取って、ウイッスラーです。ここの料理はそれほど美味しい物が無いのが残念賞です。
Jerry

アバター Thomas Sano | 2017.07.12 11:51

「肉樹」という表現が余りに気になったのでWikiってみました。

「官能小説」
卑猥さを演出するため(また、かつては取り締まりを回避するため)、独特な用語が使われている。
陰O:肉樹
O:XX
小XX:OO

今回のエッセイはフランス書院にかけているとしか思えません。

失礼致しました。

Nobu Nobu | 2017.07.13 0:07

パリよりも美味しいと言われるリヨン! 特に、ボールボキューズは有名ですが、ダウンタウンのセカンド店にしか行ったことがありません。隣のテーブルの親子が席を立ったときに、私と友人のテーブルの上のデザートチーズをみて、「そのチーズにはこの白ワインが合うのよ! 残りを飲んでちょうだいね。」と、ボトルに半分残ったワインをくださったのです。食を楽しむ外国人も大切にしてくれる風土を感じました。

アバター Cynthia Sharp | 2017.07.15 5:49

Exquisite images!

アバター 蛍子 | 2017.07.15 11:37

もうまたしてもクスクスと笑いを押し殺して拝読させて頂きました。仲居さんとお客様の奇妙なやりとりに横隔膜痙攣! 続けてリヨンのポールボギュールの丁寧なメニュー紹介に生唾異常発生!! 仏語勉強始めよっかなあ。マークさんの脱出作戦もMission Impossible並みで(表現で歳がバレますね)ハードボイルドもあり、今回のエッセイ誠にご馳走様でした。
ユーロスターを降りて。。。また楽しみにしておりまする。。

アバター Yoshiro Yamashita | 2017.07.21 11:58

赤堀さん、

人生の様々な想い出を書き残したいという、このMagazine に賭けるあなたの意気込みが伝わって来る様な気持ちがしました。

同時に、ただ、漠然と食べるばかりで、Detail に眼が行かない我が身を深く反省しています。

アバター sumiko hui | 2017.07.25 11:23

兎に角、掲載のどの写真もまるで専門家の作品の様ですね。お話も次々楽しく読ませて頂きましたが、若さが懐かしい年齢になっているなぁ
……と言う感じです。
老婆より

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