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Nov 1, 2017

瀬戸内小豆島~心地よく向き合う

Hideko Takamine

Photo & Text by Hiroyuki Arimoto

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私は福岡県北九州市の出身。

縁あって今、住んでいるのは日本の「OLIVE ISLAND」。

瀬戸内海で淡路島に次いで二番目に大きい島、「小豆島」。

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1950年代、日本映画黄金時代を背負った女優のひとり 高峰秀子。

1924年北海道で生まれた高峰さんは5歳のとき、松竹映画『母』で子役デビュー。

以降、当時は総天然色といわれた日本初のカラー映画、木下惠介監督『カルメン故郷に帰る』、小豆島を舞台にした壺井栄文学の不朽の名作『二十四の瞳』、賞を総ナメした成瀬巳喜夫監督作の東宝『浮雲』や松山監督作品『名もなく貧しく美しく』など300本を超える映画の出演。

海外からの郵便は「日本国 高峰秀子様」で着いてしまうほど、当時その名を知らない人がいないほどの人気ぶりであった。

高峰秀子30歳のとき、映画『二十四の瞳』の撮影で助監督だった松山善三と交際が始まり、後に結婚する。夏の小豆島ロケは暑くてとても出来ないということで一旦ロケ隊は東京へ戻ることになる。来春の撮影再開までの間に高峰さんは映画『女の園』を木下監督で撮影する。この時はじめて、松山さんと東京銀座で初デートをすることができた。

国民的大女優 高峰秀子。かたや夫は先の見通しもまだ分からない貧乏助監督。

高峰秀子当時の年収約2000万円。映画1本の出演料が映画界最高の100万円。これに営業収入等が別途に入ってくる。かたや貧乏助監督松山善三の年収約20万円。月給は1万2500円。

映画界のキャリアは高峰さんが25年、松山善三さん3年。

高峰さんの将来性は前途洋々、松山善三先行き不明。

学歴、は高峰秀子 小学校1か月。女学校1か月のみ。運動会など経験がないので二人三脚競技を絵で描くと膝と膝を縛ってしまうほど…。

松山善三は岩手医学専門学校中退。

子役時代から養母や親戚が何十人と高峰さんの背に乗っかって寄りかかってきたなか、それをすべて働いて働いて苦労して苦労して養ってきた高峰秀子にとって、付き合うことになった松山善三の純真で優しい心はきっと眩しかったに違いない。

二人は互いに強く惹かれ、究極のおしどり夫婦として他界するまで添い遂げる。

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2010年高峰秀子死去。2016年松山善三死去。

じつは今年、6月にお二人の養女である斎藤明美さんより御二人の遺産(住居の土地・建物など不動産や現金など動産)の一部をお二人の付き合うきっかけとなったこの小豆島に寄付して頂く運びとなり、六本木の国際文化会館において、松山家と小豆島町との寄付の対する調印式が行われた。

これを機に「小豆島から映像作品の素晴らしさを発信していく事業」を行うということで検討委員会が発足した。

元文藝春秋副社長、元文藝春秋編集長、元キネマ旬報編集長、読売新聞編集委員などと一緒に私もそのメンバーに加わることになった。

その第一回目事業として、先般発見された高峰秀子さん7歳の子役時代のフィルム無声映画『私のパパさんママが好き』の上映会を86年の時を超えて、小豆島で行うことにした。

活動弁士、片岡一郎さんの活弁とピアノ演奏にあわせて面白く多くの人に鑑賞してもらうことができた。

当日は御二人の養女である作家の斎藤明美さんの講演もあり、お二人にちなんだ書籍の販売も同時に行ったところ約100冊も売れるという関心の高さを伺わせた。

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お二人が生前、創設した「一般財団法人一本のクギを讃える会」という組織がある。

俳優や監督・脚本家は賞を貰える機会があるが映画を作るにあたり、同じように一緒に努力して作品を作っているのに陽の目を見ない大道具さん・小道具さん・床山さん・スプリクター・車両・効果音・衣装などすべての裏方さんも俳優と同じ一本のクギであるということで裏方さん達にスポットライトを当て表彰する事業をしようとして出来た会である。

この事業においても今後、小豆島が協力して継続していく予定にしている。

努力して汗している人達がみんな平等に恩恵を受け、実りがある明日にすることこそ、松山善三さん・高峰秀子さんの気持ちに寄り添うことが出来るのでないだろうか。

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一般財団法人岬の分教場保存会 専務理事 / 小豆島映像支援実行委員会理事 / 一般社団法人小豆島観光協会理事 / 小豆島町観光協議会副会長 / 四国ディスティネーションキャンペーン小豆島誘致実行委員会本部長 / 一般財団法人一本のクギを讃える会理事 / 故高峰秀子家アドバイザー/ 1962年福岡県北九州市生まれ。 観光施設二十四の瞳映画村の再生立て直しのため、平成12年に民間人より常勤役員として登用される。映画「八日目の蝉」、ドラマ「二十四の瞳」、CM「ダイハツ第3のエコカー」、「トヨタパッソ」などの数多くの映画・ ドラマ・旅番組・CMに関わる一方、施設内に1950年代日本映画黄金期ギャラリー、ギャラリー松竹座映画館や邦画シネマアートウォールの建設をし、古き日本映画の普及活動に力を入れる。また、音楽分野では女優島田歌穂によるミュージカル「二十四の瞳」東京公演・小豆島公演、日本最大ゴスペルクワイヤであるアノインティッド・マス・クワイヤーによる棚田を背景にした農村歌舞伎舞台でのゴスペルプロデュースや、スタジオジブリや映画監督・俳優などを用いたトークイベント「喋楽苦」、木下惠介生誕100年ひとつ木の下プロジェクト事務局や人気舞台 劇団☆新感線を映像化したゲキ×シネを小豆島で上映するなど地方から中央へ発信することを基本に活動する。
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